春風3






神父様からの使いでダーマを訪れてから数日、
勇者オルテガつまり、僕たちの知るポカパマズさんの娘の噂は色々な人から聞く事が出来ました。


人当たりがよく、誰に対しても分け隔てなく接し、正義感が強く、とても努力家。
彼女のことを尋ねると、皆が口を揃えてそう言いました。


だけども、彼女が僕に対する時の態度は、人々の話す彼女の像とはかけ離れていて、


僕はただ単に自分が嫌われているだけだと思っていました。


実際にはそうではないのだという事に、
その時はまだ気付く事が出来なかったのです。



 エルという少年は、緊張した面持ちでユイを見遣りながら、おずおずと話し始めた。
「実は、僕たちの村に、ポカ……オルテガさんのご家族の方に、どうしても渡したいものがあって、それで貴女に会いたいと、ダーマに仕える神官様にお願いしたんです。」
「………悪いけど、もっと分かり易く、初めから、事情を説明してくれないかしら。」
 懸命に話しているのであろうが、どうもエルの話は要領を得ない。元々機嫌が悪かったユイは、やや低い声で唸った。
「…ごめんなさい。その…三年前、魔王討伐の旅の途中で、オルテガさんは僕たちの村を訪れたんです。半月ほど滞在された後彼は再び魔王討伐の為に旅立たれたのですが、 その時にオルテガさんはあるものを忘れて行ってしまって、それからずっと彼が再び訪れる時までと村の中でお預かりしていたのです。」
 ユイは軽く目を見開いた。勇者オルテガが訪れたという地についての噂は幾つも耳にしているが、ムオルのような辺境の地にまで立ち寄っていたというのは初耳である。 成程それでこのエルという少年は随分と親しげに父の名を呼ぶのか。とひとり納得するユイの耳に、再びエルの声が届く。
「いつ彼が訪ねて来てもすぐにお返しできるようにと、村の皆で大事に保管していたのですが、とうとう彼が再びムオルの村を訪れることはなく、村にも彼の訃報が届きました。」
「それで、勇者オルテガの忘れ物とやらを、あたしに取りに来いってこと?」
 冒頭の話とつなげ、エルの伝えたいこと、というより頼みの内容を理解して、確認のためユイは尋ねた。
「あっ、はい。お願いします。」
 視線が合うと、エルは慌てた様子で頭を下げた。
「村の子どもたちの中にはオルテガさんは自分の為に置いていってくれたのだと言う者もいるのですが、やはりご家族の方にお渡しした方がいいと思って。」
 必死の様子で頭を下げて言うエルと、その隣からやんわりとした様子で事の顛末を見守る祖父。ユイは小さく息を吐いた。
 正直にいえば勇者オルテガの忘れ物など、ユイにとってはどうでもいい。 家族だからという単純な理由で興味のない人間に渡すよりは、残された物に喜んでいる子どもに持たせておけばいい。そう思う。
 しかし祖父の手前、断ることは許されない。
 態々大神官が直々にエルが直接ユイに話を出来るようにと場を設けたのだから、それはつまり断るなと言う事なのであろう。
「分かったわ。ムオルに行けばいいのね。」
 内心は渋々と、しかしそんな様子は表には一切出さずにユイは頷いた。


 善は急げと言う事で、ユイはすぐさまダーマを立った。
 案内人のエルと二人、まずは神殿を囲む森を東へと抜ける。その途中でユイはエルに尋ねた。
「貴方、戦いは出来るの?」
「えっ、はい…護身術程度なら。」
「そう。じゃあ魔物が出たら下がっててね、邪魔だから。」
 早足に歩きながらそっけなく告げるユイに、エルは怪訝な様子を示しながら、それでも穏やかな笑みを浮かべて告げる。
「あの、ありがとうございました。」
「…何が?」
 無表情に尋ねるユイに、エルは微笑を浮かべて答える。
「僕の突然の頼み事を快く引き受けてくれた事です。忙しい方だと聞いていたので、どうなる事かと不安に思っていたのですが。」
「……」
 別に快く引き受けた訳ではないのだが態々そんな事を言って反感を買う必要もないので、ユイは無言でエルを一瞥する。 エルはまるで尻尾でも生えているかのように人懐っこい雰囲気でにこにこと此方を見詰めているが、ユイは一瞬だけその様子を見ると、直に視線を戻した。 そのまま早足に進むユイの背後から、落胆して項垂れる様子が伝わってくる。だがユイは、それを完全に無視して先へと向かった。
 態々反感を買う必要もないが、態々好意的に接する必要もない。
「…あの、僕は何か貴女に嫌われるような事をしましたか?」
 背後から遠慮がちに尋ねるエル。ユイは今度は目もくれず返答した。
「どうしてそう思うの?」
「だって、ダーマの人たちと接し方が随分と違うようですから。」
「あぁ。」
 エルの答えにユイは納得した様子で声を上げた。ダーマで『オルテガとアリアの娘』の噂を聞いたのならば、 エルの中の自分の認識は「人当たりが良く両親の名に恥じぬ素晴らしい性格」といったところだろうか。そう思い当たり、ユイはそこで漸く身を反転させてエルへと向き直った。
「別に、貴方のことを嫌っているわけじゃあないわよ。ただ、態々貴方に対して取り繕う必要はないでしょう?」
 ダーマで、そして故郷アリアハンで、人の言うユイの性格というのは、ユイが演じる『勇者の娘』としての印象なのである。 オルテガの死後、何時しか彼に向けられていた期待はその子どもたちに向けられるようになり、 それに比してユイは親しい人間以外と接する時には、自然と人々の求める『勇者の娘』を演じるようになっていた。
 だが何故か、ユイはエルに対しては『勇者の娘』を演じる気にはなれず、現在は仮面の下の動かぬ表情を直接表に出しているのだ。
「…それは、今ではなく普段の貴女の方が作りものという事ですか?」
 先程までのどこか天然といった印象とは打って変わって、鋭い視線でエルは尋ねた。
「そういうことになるわね。」
 家族や友人は別だがそれ以外の人間に対して見せる表情は作りものの表情でしかない。ユイは薄く嘲笑した。
「なら何故、僕に対してはその作りものの性格で接しないのですか?」
「さあ、なんでかしら。」
 実のところその理由はユイにも分からない。ただエルに対しては作り笑いでも好意的な態度で接する気にはなれない。それだけだ。
「これだけは言えるわ。別に、貴方のことを好いているわけでも、嫌っているわけでもない。」
 少なくとも嫌われているわけではない。それを知りエルは若干表情を緩める。しかし――

「だって、あたしは嫌いになるほど貴方のことを知らないし、知ろうとも思わない。」

 氷のように冷たい無表情で、残酷に告げられた言葉にエルは絶句した。
 ユイにとってエルはただの案内人。ムオルの村につくまでのほんの数週間の間の旅の連れ。それ以上に捉えるつもりは毛頭ないのである。
 それをこうして言葉に出されてしまえば、エルはどうすればよいのか分からなかった。
 いくら此方が好意的に接したとしても、関心すら寄せてくれない相手には何の意味もない。 そしてそんな彼女の心を開く方法を、辺境と呼ばれる村の中という小さな世界で生きてきたエルは持ち合わせていなかった。
(どうして……)
 脳裏に過り、喉元まで出かかった疑問は、しかしユイの冷たい視線に黙殺されて、エルは彼女との間に大きな隔たりを感じ、 底のない穴に落ちて行くかのような感覚に見舞われた。
 ユイはもはや言う事はないと言わんばかりに前方へと向き直り、さっさと前進を始める。 取り残されたエルはそんな彼女の背中を見詰めながら、尊敬する人の姿を思い浮かべた。
(ポカパマズさん、貴方の……)
 だが、エルの胸の内を聞くものは、誰もいない。
 早く来いという、先を行くユイの無言の訴えに、エルは首を横に振り自身の思考を遮ると、早足に彼女のもとに向かった。


多分嫉妬したのだと思う。
きっと貴方はあたしの知らない父の姿を知っているから。
だからいつもと同じように笑顔を作り、取り繕う事が出来なかったんだと思う。


それで酷く傷付けたのに、
それでもあたしのことを見捨てなかった貴方に、
今はとても感謝している。



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 好きの反対は無関心。この時ユイは本気で言ってます。   








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