氷結・融解






悪い夢を見た。
そう思いたくなるような出来事がおこってから、いったい何日が過ぎたのだろうか。
時間が進む感覚も、現実感すらも失われたまま、
ただただそうすることが義務であるかのように、
呼吸し、食事を取り、眠った。

しかし、何度そうして目を覚ましたところで、
悪夢は覚めない。

瞳には平和な日常の光景が写っているのに、
目の前は真っ暗で何処に進めばいいのか解らない。
そんな中、たった一つだけおぼろげに浮かぶ光があった。

その光が闇に溶け込んでしまわないように。
ただそれだけを考えて、シキは進んだ。





 テドンから逃げ延びたシキとティルは、父ラデュシュの言葉通りダーマの人々を頼り、ダーマ神殿に身を寄せていた。
 身一つで逃げ出してきた二人であったが、二人の姿を見た大神官は彼等に何があったのか悟ったように直に彼等が衣食住に苦労することが無いよう手配してくれた。
 子ども二人が生活するには広すぎる部屋を宛がわれそこで生活するようになってから幾日が過ぎたのか、それは二人には解らなかった。ほんの一日二日のような気もすれば、永遠にそこで生活している様な気さえした。
 その日も、シキはただそれが義務であるかのように、食事を取るために部屋を出た。
 食堂の片隅で他の利用者の中に混じりながら朝食を済ませ、トレイの上にパンと水を乗せて部屋へと戻ると、シキはベッドの上で膝を抱え込んだティルに声をかけた。
「ティル、朝ごはん、もらってきたけど…」
「いらない。」
 遠慮気味なシキの言葉に返って来たのは消え入りそうな声であった。その返答にシキは肩を落とした。
「そっか…じゃあ、ここに置いとくから、お腹がすいたら食べろよ。」
 シキはサイドテーブルの上にトレイを置くと部屋を出た。

 それはあの日から繰り返される光景であった。
 ベッドのそばに置かれた食事に手がつけられたことは未だない。
 そんなティルの状態に危険を感じた神官が、なんとか食事を取らせようと日に数度部屋を訪れているが、身体が食事を受け付けていないのだと言う。
 力ない瞳で虚空を見詰め、日々色を失っていく彼女の姿をみていられずに、シキは当てもなく広い神殿の中をさまよった。


たったひとつ残った一番大切な光が消えてしまう。
そのひとつの光すらも守ることは出来ずに悪夢は続いていく。
「…おれには、守れないよ。」
表情を無くしたまま、シキはそう呟いた。





 テドンから逃げ延び、大神官から保護を受けた兄妹の姿は良くも悪くも注目を集める。
 ダーマに身を寄せ数日が経ち、人の視線も多少は少なくなってきたものの、未だシキを見詰める視線があることは否めない。加えて、生まれ育った村とはあまりに雰囲気の違う神殿は、シキには居心地が悪かった。
 シキは無意識のうちに人目を避け、少しでも居心地のいい場所を探して彷徨い歩く。そしてシキは気付けば神殿を抜け、森の中へと踏み込んでしまっていた。
 木々の種類は見知ったものと違っていても、穏かな静けさは故郷の村の周りに広がる森によく似ていて、部屋に戻って日々弱っていくティルの姿を見るのが辛かったことも合わさって、シキはその場に腰を下ろした。
 宙を見上げて肩を落とす。
 ティルの、神官たちの前で張っていた気が抜けていくと、シキはもうその場から動けなかった。
 森の中で気を抜くことで魔物に襲われる可能性があると言うことは、今のシキには気付くことが出来なかった。
 だから、傍にある草むらから勢い良く獰猛な影が飛び出してきてもシキはすぐに反応することが出来なかった。
「!!!」
 目前に差し迫った魔物の体駆に、シキは思わず目を瞑った。
(結局、ここで死ぬのか。)
 何処か現実から切り離された思考の中で、シキは場違いに冷静にそんなことを考えた。その直後、シキはヒュンッと空を切る音とドッと何かの刺さる音を耳にした。痛みは無い。そしてギャンッと魔物が悲鳴を上げた。
 怪訝に思って瞳を開けると、シキと魔物との間に割り込んで、シキよりも一、二歳ほど年上かと思われる少年の姿が目に入った。
 光の辺り加減によって黒にも銀にも見えるような不思議な灰色の髪を一つに縛り、着崩した神官服を纏った少年であった。少年が手に持った短剣が魔物の胸部に深々と突き刺さっているのを見、シキは自分が彼に助けられたことを理解した。
 少年が魔物に突き刺した短剣を引き抜くと、魔物は音を立て倒れ伏した。
 魔物が絶命したのを確認すると、少年は振り返り、凄まじい剣幕でシキを睨みつけた。
「馬鹿野郎!!死にたいのか!!」
「……」
 シキは咄嗟に返答を返せなかった。少年は唖然として少年のことを見上げたままのシキを強引に立ち上がらせると引き摺るようにシキの手を引きその場を離れた。

「…この辺りまで来れば、大丈夫か。」
 少年は魔物を倒した場所からある程度離れた木陰で立ち止るとシキを開放した。
「……」
 返答を返さず、無表情で視線を合わそうともしないシキの様子に少年は表情を歪めた。
「お前、死ぬところだったんだぞ。解ってる?」
「わかってる。助けてくれてありがとう。」
 シキは今度は淡々とした返事を返し、それを見た少年は息を吐いた。少年はそのまま閉口し考え込む素振りを見せたが、やがて観念したように口を開いた。
「…事情は、大体知ってる。」
 少年は反応を返さぬシキに言い聞かせるように一つひとつ言葉を区切り、ゆっくりと言った。
「立ち止ってもいい。絶望してもいい。誰かに酷く当たろうってなら俺が全部受け止めてやる。泣き喚いて助けを求めれば必ず誰かが助けてくれる。」
 この人は何を言っているのだろう。そんな疑問を抱いてシキが少年を見上げると、少年は神妙な面持ちで続けた。
「だから、命を無駄にするような事だけはするな。」
 そこに至って、シキは少年が何やら誤解しているらしいことを知る。
「別に、死のうとしてたわけじゃない。」
(そうだ、こんなところで死んじゃいけない。)
 言って、シキは初めて自暴自棄になっていてはいけないことを自覚した。
「父さんと母さん、それに村のみんなも、命がけでおれたちを助けてくれたんだ。こんなとこで死ぬわけにはいかない。生きて、ティルを守らないと。」
 ぽつぽつと呟かれた科白は村を逃げ出す際に常に頭の中を巡っていた考えであった。
 ダーマを訪れ、時間が経ち、自分の殻にこもり、頭の中の整理が出来ていくにつれ、絶望の波に埋もれていった、シキが今考えられる中で一番大切な道であった。 それが少年との会話の中で不意に蘇った。
 少年は突然語り始めたシキの様子に虚を突かれた瞬いたが、やがて表情を和らげ口を開いた。
「だったら気を付けないとな。最近は魔物の動きが活発化してる。一歩人里を離れたら何が起こるか解らないぞ。…なんでも、魔王が復活したって話だからな。」
「魔王が?」
「嗚呼。あくまで噂だけどな。」
 少年の頷きに、シキは思考を巡らせた。
「もしかして、村が攻められたのはそのせいなのか?」
 少年はシキの呟きに答えるかわりに口ずさんだ。
「最近、魔族の連中が金の目の一族の生き残りを探しているらしいぜ。連中、よっぽどルビス様の加護を受けた人間に恨みがあるのかね。」
「!!」
 驚き目を見開いたシキに少年は不適な笑みを向けた。
「なぁ、力が欲しいか?」
「欲しい。ティルを守れるだけの力が。」
 シキははっきりと頷いた。
「なら、俺と取引をしないか?」
「取引…?」
「俺はお前に俺の知る限り全ての戦う術を教えてやろう。そのかわり、お前には俺の求めるものを探してもらう。」
 それはシキと対して年の変わらない筈の少年が言うには誇大過ぎる内容であった。しかし、シキは何故かその条件が信じられるもののように感じた。
「俺の求めるものは『魔王を倒し得る力を持った勇者』。お前は俺が教えた力でもってそいつを探して共に魔王を打ち破る。どうだ?」
「…、かまわない。それでティルを守る力が手に入るなら。」
 力が欲しい、その為に。シキは無謀とも思える条件を飲み、差し出された手を握り返した。


「よし、決まりだな!俺の名前はユーラリース。ユーラでいいぜ!今日からお前の師匠様だ!」

 この時、ユーラリースの満面の笑みは、シキには暗がりの中一筋の道を指し示す光に見えた。




1st top

 この時、幼いシキ少年は知らなかった。 ユーラリースと名乗ったこの少年と共に行動することで、彼の心に数多のトラウマを残すことになると言うことを(笑)
 ということでテドン崩壊後師との出会いシキ編でした。
 10歳の子どもになんてことをと悲鳴を上げたくなるような鬱展開ですが、こうすることはティルとシキのキャラをつくった時から決めていました。ごめんよティル、シキ…
 話の後半で一見立ち直ったように見えるシキ君ですが「ティルを守る」ということを支えに無理矢理に立っている状態です。まだまだ危ういです。
 ユーラ師匠はそれに気付いているので「八つ当たりしろ。泣き喚け。」と言っているわけですがその後一人で無理やり立ち上がってしまった為あえてそれ以上は言わなかったという状態。
 そして修行中、シキを励ます為にと様々な馬鹿騒ぎを引き起こしてはシキにトラウマを植え付けます。
 10歳児に魔王を倒せなどという悪魔のような取引を持ち掛けた非道な人(笑)に見えますが、愛はあります。








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