パチパチと音をたてて燃える焚火の火をユウは何処か虚ろな瞳で見つめていた。
 日が沈んでからは既に数刻の時間が経過し、辺りにはどっぷりと夜の帳が下りている。
 仲間たちは焚火の明かりが届く範囲で思い思いの場所に身を下ろし瞼を下ろしている。出来るならばユウもそれに倣って身を休めたかったがそうするわけには行かなかった。
 今、ユウは見張りの最中なのだ。
 人里離れたアリアハン東部の山岳地帯。誘いの洞窟へ向かう途中、この場所で、ユウは初めての野宿を体験していた。


 夜〜新米勇者とベテラン冒険者〜


 ユウは旅立つ前、アリアハンの自宅においては常に規則正しい生活をしていた。睡眠に関しても早寝早起きを破ったことは殆どない。それは無意識的な習慣で、ついでにいうと健康管理にはとても良いことではあったが、今この時に限ってはその習慣が裏目に出ていた。
 ユウが見張りを請け負いほどなくしたある時、おそらくは普段の就寝の時間に達したのであろうその途端、ユウに睡魔が襲ってきたのだ。
 だがここで睡魔に負けるわけにはいかなかった。目に見える範囲に魔物の姿は見受けられないが時折魔物の遠吠えが耳に届くことがある。ここは安全な町の中とは違うのだ。いつどんな魔物が襲ってくるか解らない。
 そう思い、緊張感を保とうとするユウであるが、そう簡単に普段の習慣に打ち勝つことは出来なかった。
 なんとかしてそれを押し留めようとする努力とは裏腹に次第に重くなる瞼。
(だめだ……)
 ユウがそう思ったそのとき、
「眠いの?」
 ふと声を掛けられ、ユウはぱっと眼を見開きそちらを見た。すっかり眠り込んだものだと思っていた金髪の少女がその金の眼をまっすぐにこちらへ向けている。
「…ティル」
 思わずユウが小さな声で名を呼ぶと、彼女は微笑を浮かべて告げる。
「代わろうか?」
 その言葉に、ユウはあわてて首を振った。
「駄目だよ。まだ交替の時間じゃないし、それにティルだって疲れてるんだから…」
「これ位は平気だよ。ユウやレイと違って私たちは旅に慣れてるから。」
 その言葉に嘘偽りがないことは彼女の表情に疲労の色など全く籠っていないことからも見受けられた。同時に、ユウはなんだか申し訳ない気持ちになった。
「ごめん…」
「なにが?」
 その気持ちの通り謝罪の言葉を口にすると、彼女は全く訳が解らないという風に首を傾けた。
「その、頼りなくて…」
 そう言って俯くユウにティルはゆっくりと首を横に振って見せた。
「そんなこと全然思ってない。」
「でも、実際戦闘でも全然役に立てないし…」
 これまでの戦闘でユウの活躍など無いに等しい。ここまで来る途中に遭遇した魔物たちの殆どはティルとシキによっていとも簡単に打倒されていた。実戦経験豊富で実力のある二人にとってこの大陸の魔物など敵ではないのだ。
 そのことを思い返しながら告げるユウに対してティルは再び頭を振った。
「はじめから強い人なんて、いないよ。」
「えっ?」
 顔をあげてティルに視線を合わせると、彼女は何処か遠くを見つめるようにして続けた。
「私も、旅を始めたばかりの頃は助けられてばかりだったから。」
 そう言ってティルはユウと視線を合わせると微笑を浮かべてこう続けた。
「それに、ここで無理して体を壊したらそれこそ大変なことになるよ。明日も歩かなきゃいけないんだし。」
「うっ…」
 言葉を詰まらせるユウ。実際、風邪を拗らすようなことは無いにしてもこのままでは寝不足にはなりかねない。それに今日の疲れが抜けきらなければそれこそ迷惑をかけてしまう。
「今日は代わるよ。初めてのことばかりだろうし、少しずつ慣れていってくれたらいいからさ。」
「…ごめん」
 優しく告げられユウは再び俯きそう返した。
「おやすみ、ユウ。」
 微笑を浮かべて告げるティルに、ユウは申し訳なさからくる苦笑を浮かべて返した。
「おやすみ、ティル。ありがとう。」
 慣れないことによほど疲労が溜まっていたのか、目を瞑ってから眠りに落ちるまでの時間は驚くほど早かった。




 ■




 ユウと見張りを交代してから早数刻、草木も眠る真夜中にティルは目敏くと気配の変化を感じると振り返った。見ると少し離れた木の幹にもたれ身を休めていたはずのシキが立ち上がりこちらに向かっている。
「まだ交代には少し時間があると思うけど?」
「過ぎるよりマシだろ。」
 あっさりとそう返され、ティルは若干むっとなった。
(起こすまで寝てればいいのに)
 実際には少し早いとは言ってもそれは本当に些細な時間で、既に事前に決められていた交代の時間とそう大差ない時間帯に差し掛かっていた。それでもさりげなく、ほんの少しでも長くティルを休ませようとするその気遣いが、ティルには何となく腹立たしかった。
「大体、まだ一睡もしていない奴にとやかく言われる筋合いはないな。」
 それを知っているあんたは一体いつ寝たんだ。そんな意味合いを込めた視線でティルは思いきりシキを睨みつけた。


深夜〜負けず嫌いと世話焼きな相棒〜


 まだ一睡もしていない。それは別にユウに見張りを任せるのが不安だったからとかそういうことではない。ただ単に習慣の違いである。長く二人旅を続けていたティルとシキは、もちろん野宿の際の見張りも二人交代で行っていたため、夜遅くまで起きていることには慣れていた。もちろん魔物の襲撃の心配のない宿に宿泊する際には普段の疲れを癒すため早寝を心がけるが、外で野宿の際にはユウが見張りをしていた時間帯に既に眠りの中にいるということは殆どなく、いつもの癖で眠らずに目を瞑るだけで身を休めていたところ、どうも夜更かしに不慣れな様子のユウを見かねて交代した。それだけのことだ。
 おそらくはシキも同様で、ティルが見張りについたころにはまだ起きていたと、それだけのことなのであろうが、ティルには何となく釈然としない。
「言っておくが、仮眠はとったぞ。」
「……」
 そんなティルの様子を気にも留めず、シキは静かに彼女の隣に腰を下ろすとティルが脇へと置いていた彼女の外套――もっぱら野宿の際の寝具として使用している――を差し出した。
 それを被ってさっさと寝ろ。と、その動作のすべてがそう語っている。
 ティルはむすっとしてそれを受け取ると、さっと立ちあがり傍にあった木の幹へと腰を下ろし外套を羽織った。
「どうせ、」
 機嫌を直さぬままに言い放つティルにしかしシキは顔を向けようとはしなかった。それでもティルは気にせず続ける。
「どうせ自分だって、起こす気なんか無いくせに。」
 相手の考えなど見透かしたかのように言い放ちティルはふいと体ごとシキから視線を外し、そのまま幹にもたれ掛った。
(人に気を使う前にもっと自分に気を使えばいいのに。)
 シキが聞けばそっくりそのまま返されるであろう言葉を心中で呟きティルはじっと身を縮こまらせた。
「おやすみ!」
 周りを起こさない程度の声音で投げ捨てるようにそう言い放ち、ティルはギュッと瞳を閉じた。
(そういうところが、好きじゃない。)
 朝起きれば機嫌など晴れてしまっているだろうが今だけはと、ティルは再び心中で悪態を吐くと、だが貴重な睡眠時間を無駄にする訳にもいかず、次の瞬間には体を休めることだけに専念した。
「……はぁ、」
 そんなティルの様子を眺め、シキは彼女の耳に届かぬようにそっと小さく溜め息を吐いた。
(相変わらずだな。)
 彼女のそんな態度は日常茶飯事でとっくの昔に慣れてしまっていたがそれでもそう思わずにはいられなかった。自分に対しては特に過剰なまでに負けず嫌いを発揮する相棒は、今のように少しでもこちらが気を使うと目に見えて機嫌を悪くする。決して短気な訳ではないはずだが、昔からこの癖は変わらない。
 そんな相棒に再び軽く息を吐くと、シキは空を見上げた。空にはまだ暗く無数の星々が広がっている。夜が明けるにはまだまだ長い時間があった。




 ■




「ぅん……」
 うっすらと開けた瞼の隙間から眩いまでの日の光が差し込み、レイは思わず腕を翳してその光を遮った。そしてゆっくりと瞼を上げると視界に早朝の澄み渡った空が広がった。
(なんで、空が……っ!)
 未だ寝惚けた頭で数秒考え、今この状況を理解すると共にレイは飛び上るようにして跳ね起きた。
「起きたか。」
 そんなレイに目前から淡々とした声が掛けられた。消えかけた焚き火の燻るその隣で黙々と朝の食事の準備を進めているその少年にレイは小声で叫んぶ。
「なんでっ、起こしてくれなかったのよ!!」
 まだ見張りを任された時間の内ではあったものの、これは完全に寝坊であった。


 早朝〜ぶっきらぼうな少年と意地っ張りな少女〜


 朝早く起きることは得意な方である。だから見張りの順番を決める際にも一番最後、明け方に当たる時間帯を選ばせてもらったのだが、蓋を開けてみればこれである。
 道中の戦闘に関しては完全に足手まとい。せめてそれ以外では役に立とうと考えていたのに結局また迷惑を掛けてしまったことに罪悪感を感じ、レイはしゅんと完全に項垂れた。
「ごめんなさい…」
「別に」
 ただ謝ることしか出来ず俯きそう告げると、呆気ないほどに短く単調な返答が返った。
 言い放つその表情に怒りや呆れといった感情は感じられないが、そのことにレイは少しの安心感も感じることはできなかった。それもそのはず、レイにはもともと彼の乏しい表情を理解することなど出来ていないのだから。
 それだけではない。レイは彼に対して以前にも多大な迷惑を掛けているのだ。本人はもとより、長年彼の相棒を務めているという少女も彼はそんなことを気にしていないということを聞かされたが、それでも罪悪感も不安も消えることはない。
「あの、シキ…」
 ぐるぐると思考を巡らせた末、ようやくレイは彼の名を呼んだ。
「なんだ?」
 すぐに帰った返事にレイは遠慮がちに告げる。
「その、あとは私が見張るから、少しでも休んでて…」
「いや、いい。…今からじゃそう長く休めそうもないからな。」
「……そう、よね。」
 シキの言うことは最もだ。既に太陽はほとんど顔を出し、大まかに決めた朝食の時間、出発の時間はすぐそこに迫っている。
「なら、せめて、手伝うわ。」
 既に朝食の支度にとりかかっているシキに対して、それがレイの精一杯の言葉であった。しかしシキはそれを聞き、レイに向き直ると眉を寄せた。
「お前が?」
「な、なによ…!」
 その反応にむきになって返すと、シキは「なんでもない」とレイから手元に視線を戻した。会話を続けながらもシキは硬い果実の皮を剥き続けており、その手は休むことなく一定のペースで動き続けている。かと思えば時折その手は手近なところへ置かれた小枝へと延び、焚火の燻りを少しでも持続させようと器用に薪を組み替えていく。
 そんな彼の様子を眺め、レイは徐に手を差し出した。
「なんだ?」
「代わるわ。それを貸して頂戴。」
 そう言ってレイは彼の持つ果実とナイフを指差した。シキはそんなレイを見、暫く沈黙した後、
「……出来るのか?」
「出来るわよこれくらい!」
 そう尋ねた。シキにとってみればそれは純粋な問いかけであったが、レイはそれにむっとし彼の手から手早くナイフと果実を奪い取った。だが、実際に手に取るとナイフの扱いは存外に難しい。
(なかなか上手く剥けないわね、…こうかしら)
「…そんな持ち方だと手を切るぞ。」
 四苦八苦するレイに横から呆れたような――実際にそのような意味合いを持っていたのかは定かではないが少なくともレイにはそう聞こえた。――声が掛る。
「うるさいわね。……きゃっ」
 先ほどまでの気の沈みなど忘れてむきになり皮むきを続けるレイの両手が、突如それよりも大きい手に包み込まれた。
「ちゃんと持ってろよ。」
 そう言ってシキはレイの手を握りこむと正しいナイフの握り方や皮の剥き方を手と口の両方を使って説明し始めた。その間レイは慣れない事態に顔を真っ赤に染めて、シキの説明など殆ど右から左へと流してしまっていたのだが・・・


(けっこう、優しい人なのかも…)
 後日そのことを思い返し、レイはそんな感想を漏らしたとか。
 




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