第72話−海路にて






 世界の中心と謂われる大地の地下に存在する人工的な空間の中を、一人の少年が歩んでいた。
 上質な法衣を纏い、光の加減によって黒にも銀にも見えるような灰色の髪を暗がりの中で暗い色に翳らせた、十代前半の子どもの姿をした人間の少年である。
 少年は神事の際にも使用される聖なる力が込められた杖を肩に担いで堅い面持ちで通路の続く先へと進んでいく。
 壁に燈された灯りだけを頼りに、少年は迷うことなく路を進み、やがて空間の最奥へと辿り着いた。
 そこには祭壇が備え付けられていて、その上には竜を模った台座に納められた青の宝珠が祀られている。
 少年は祭壇の前で杖を構えて祈りを捧げると祭壇を上り、宝珠に軽く手を触れた。 瞳を閉じて力ある言葉を紡ぐ。宝珠はそれに呼応するように淡く輝きを増した。
 言葉が紡ぎ終えられると、宝珠は輝きを失い元の静けさを取り戻した。
 それを見届けた少年は、胸元に手を当て静かに祈りを捧げると、呟いた。
「意志を持つものよ、早く現れろ。それがきっと、一番の近道になる。」
 懇願の響きを持ったその科白だけが、無音の空間の中で木霊して消えた。




  10.四王を祀る地



 テドンを後にしてから数刻、ユウたち一行は岬に停泊させていた船に乗り込み出港した。
 テドンでは予期せず夜通し活動することになったので、落ち着ける場所に戻るとどっと睡魔が押し寄せ、宛がわれた船室で直に睡眠を取りたい衝動にかられたが、 ユウたちはそれを堪えて舵を握るサティの元へと次の目的地を告げる為に赴いた。
「…ランシールだって?」
 目的地を告げた途端、サティから静かでいて拒絶的な反応が返った。
「駄目なんですか?」
「そりゃ、行けってんなら行くけどね…」
 不安げに尋ねたユウにサティは額を押さえて返した。 言葉とは裏腹に行きたくないという考えが見え見えの様子である。
「あそこは浅瀬や岩礁が多いうえに海流が複雑なんだよ。毎年何隻も座礁してる、船乗りが避けたい海域の一つだね。」
「でも、ランシールの主な他国との連絡手段は船だったわよね?」
 レイは自身の知識を思い返しながら尋ねた。

 ランシール大陸はそう大きな大陸ではなく、そこに住む人々の生活に必要な物々の流通は大陸内部で賄えている。その為他の国との国交が盛んに行われている訳ではない。
 しかし、ランシールにはダーマと匹敵する大神殿が存在する。
 転職の場として知られているダーマとは違って、ランシールの神殿は神に仕えるものたちの修行の場として有名で、毎年多くの僧侶たちが修行の為に訪れていると云われている。

「修行好きの僧侶どもは勤めで溜めた大枚を保険金として腕の立つ船乗りに渡して連れてって貰ってるって話さ。あたいら海賊には関係のない話だけどね。」
「へぇ…修行に行くのにお金もかかるし命がけなんだ。僧侶って大変なんだね。」
 感心したような物言いでティルが言う。その隣でレイが苦い表情で口を開いた。
「…海賊のお頭さんが随分船乗りと僧侶の旅事情に詳しいのね。…もしかして…?」
 疑いの眼差しに気付いた途端、サティは鋭くレイを睨みつけた。
「あたいは義賊だ!そんなことはしないよ!! …まぁ、そういう奴が多いことも確かだけどね。」
 科白の途中で表情をがらりと変えて、溜息を吐きながらアルジェは続ける。
「ランシール沖の比較的海流が穏かな辺りは海賊たちの格好の狩場になってる。海賊に襲われて命を落とした船乗りや僧侶たちも多いと聞くね。」
 サティ率いる海賊団『灯』は義賊であって、そのような卑劣な行為を行わないが、同業者のそのような行為に対する牽制などはあまり行っていない。 カンダタ率いる盗賊団『黒き翼』にしてもそうだが、あまりに過激で卑劣な同業者に対しては牽制したり時に潰しにかかるような事はあるが、 ある程度のレベルまでの犯罪であれば目を瞑っている。それが盗賊達の中で暗黙の了解であった。
 特に、海賊たちが縄入りとしている海は広く、余程過激な行為を繰り返して行わない限り何処の海賊が暴れているのか直に特定することは困難である。 その為サティ達は余程目に余る行為を行っている海賊たち以外には敢えて干渉しないことを決めていた。
 余談であるが、盗賊同士では目を瞑る様な犯罪に対しても動きを見せるのが、ユイのように盗賊狩りを縄入りとしている者たちである。
「…つまり、第一にランシール沖で海賊に襲われるかもしれないリスクが、第二にランシール近海で浅瀬や岩礁で船が座礁するリスクがあるという事か。」
「そういうことだね。それでも行くかい?」
 シキの分析にサティが頷いた。
 流石は海賊の頭といったところか。相手を刺す様な鋭い視線を向けられて、ユウはたじろぎつつも頷いた。
「お願いします。」
「さっき言った通り、結構なリスクを伴うよ。」
 冷静な物言いに鋭い視線でサティは再度確認を取る。誰もが試されているのではないかと感じるような雰囲気の中、ティルが呑気に声を上げた。
「でも、サティならどっちも大丈夫だよね。」
 先程の話を聞いていたのかと返したくなるほどに屈託なく笑うその様は、試しているかはたまた彼女に全幅の信頼を寄せているかのどちらかである。
 勿論ティルとしては後者のつもりで、それなりに付き合いのあるサティもそれを理解してはいるのだが、 一瞬でも試されているのかもしれないという考えが過ればそれに乗らない手は無かった。
「……分かった。言ったからには、覚悟しときなよ。」
「は、はぁ。」
 どすの利いた物言いに押されながらティルは頷く。その傍でサティの相棒であるリュイアスが盛大に嘆息した。
「…煽るなよ。」
「…もしかして、私凄く余計な事言ったかな?」
 リュイアスの呟きにティルが尋ねれば、リュイアスとシキから呆れたように頷きが返った。
 サティは海賊の頭としての冷静な一面も持っているとはいえ、どちらかというと勝負事に熱くなりやすい性格の持ち主であった。
「覚悟しろよお前ら。事故起こす様なへまはしないが、当社比数倍心臓に悪い思いをする羽目になるぜ。」
 リュイアスの不吉な予言に最早誰も言い返す事が出来ずに乾いた笑みを浮かべる。
 とにかく今は現実を忘れて早く夢の世界へと旅立ちたかった。  




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