第16話−少女は語る







 16年前、当時ルイはとある目的のために旅をしている最中で、時折ふらりとエルフ里に戻ってはまた直ぐに出て行くという生活を送っていた。
 そんな中、あの事件は偶然にもルイが里へと帰還したその時に起こった。


 ルイは、エルフの里の外れにある自宅の扉を開けた状態のまま、目を見開いて静止した。 彼女以外、誰も住んでいないはずの家の中から、一人のエルフの娘がびくびくと体を震わせ此方を見詰めている。
 ルイにとって自宅に誰かが無断で入り込んでいること自体は大した問題ではなかった。
 殆どこの家に帰らないルイがこの家に置いている物は、帰ってきたときに生活に支障がない程度の家具だけで 貴重な物や人に見られたくないものなどは別の場所においているし、あまり帰って来ることのない彼女のために、 里にいる友人が定期的にこの家の掃除に訪れてくれていることを知っている。
 なので家の中に人の気配がある事自体をルイは大して気にもしなかった。
 が、扉を開けてそこにいる人物を初めて見やり、ルイは言葉を失った。
 ルイは暫くそのままで、やたら散かったテーブルの上や、何やら人一人分の膨らみがあるベッドなどを眺めた後、 部屋のから此方を見つめているこの里で一番親しい友の娘であるエルフの娘に視線を向けた。
「アン、これはどういうことですか?」

「ルイ、さま…ご、ごめん、なさい……あの、ここしか…おもい、つかなくて…それで……」
 名を呼ばれアンは大きく体を震わせ、時々嗚咽を漏らしながら目頭に涙を溜めて震える体を抑えながら必死に何かを訴えようとする。 ルイはそんな彼女の向かいに立つとそっと手を握り優しく微笑んだ。
「落ち着いて。まずは心を静めて。 それからゆっくりで良いので事情を話してください。」
 アンはこくんと頷いて涙を拭った。ルイはどうにか落ち着きを取り戻そうと深呼吸する彼女からベッドの側を見やった。
 そこでは体中に酷い傷を負った青年が浅い呼吸を繰り返している。
 その青年を見、ルイは此処しか思いつかなかったというアンの言葉の意味を知り、その選択が正しいものであることを確信した。
 ルイはベッドの傍まで歩み寄ると、『人間』の青年である彼にそっと手を翳した。


 エルフという種族は、妖精達の中でも際立って他種族との交流を拒む種族である。特に人間に対してはより一層厳しい感情を向ける。 その理由は遥か昔、まだ人間や竜、魔族の者たちと妖精達が交流を持ち共存していたころにまで遡る。
 共存していたとはいえ、世界中に広く分布していた魔族や人間達と比べると、妖精達は適応能力が低く、 個々の種にあわせた狭い範囲でしか生きられないと云われていたからだ。
 その中で、他の種族とより近い環境で生きていくことが出来るのがエルフたちであった。
 エルフたちは町に下り、他の種族と共に平和に暮らしていたのだが、やがてその平和が崩れる時が来た。
 一部の欲深い人間達が、人間より遥かに数の少ないエルフたちを捕え、見世物や売り物にし始めたのである。
 後にエルフ狩りと呼ばれるこの行為を知ったエルフたちは、人間に失望し、恐れ、怒り、悲しみ、森の奥へと姿を消していった。


 エルフ狩りについては親から子、子からさらにその子へと伝えられ、現在でもエルフたちは人間に対して強い恐怖と怒りの感情を抱いている。
 ルイはそのしがらみを断ち、独自に人間達と交流を深める変わり者であるが、アンはそうではなかったはずだ。
 アンはエルフ族を纏める女王の一人娘である。女王は人間に対して人一倍厳しい感情を抱いていて、それを娘にもしっかりと言い聞かせていた。
 それ故に、アンが人間の青年と共にいるというこの状況がルイには不思議でならなかった。

「…森の中を散歩していたんです。今日はなんだか森が何時もより明るい気がして、楽しくなって気が付けば結界の外に出てしまっていたんです。」
 ルイが青年の致命傷となり得る傷を癒したことで、幾分か落ち着きを取り戻したのかアンはぽつぽつと語り始めた。
「そこで彼と出会って、私、人間と会うのなんて初めてだったから、怖くなって逃げようとしたんです。その時、茂みから魔物が現れて私に飛び掛かって来たんです。」
 アンはその時の恐怖を思い出したのか、ぎゅっと己の体を抱きしめた。
「彼が、私のことを庇って…
 魔物は、二人で何とか退けたのですが、彼が倒れて、私の力だけでは、癒すことも出来ない酷い傷でっ…!」
 アンは感情の高ぶりとともに荒くなる息を整え、間をおいて続けた。
「…でも、お母様たちのところへ行っても、彼を助けてもらえるかどうか、解らなかったんです。 それでも見捨てることなんて出来ない。そう思って、誰か強い回復呪文が使えるひとのところに行こうと思った時に、 そろそろルイ様が帰ってくるころだと誰かが噂していたのを思い出したんです。」
 ルイはエルフの里の中で唯一人間を嫌わないエルフで、また幼い外見とは裏腹にアンの母親であるエルフの女王と同等かそれ以上の魔力を持っている。
「それにしても危険な賭けですね…」
 運良くルイが帰郷したから良かったものの、こうなる確率など殆どゼロに近かったはずだ。
「私も、もう少し待ってもルイ様が帰って来なかったら、もうお母様のところに行くしかないと思っていました。」
 娘であるアンの頼みであれば、女王は青年の命だけは救ってくれたであろうと思う。だが、その場合、彼女は礼もままならぬうちにアンと青年を引き剥がしただろう。 アンにとってそれは至極不本意な結末であったのだろう。

「事情は解りました。アン。」
「はい。」
「魔法によって傷は癒せても、失った血まで元に戻すことは出来ません。それに、これ程の怪我です。元通りに動けるようになるまでには時間が掛るでしょう。」
 惜しむことなく魔力を使えば完全に傷を癒すことは出来たのだが、ルイはそれをしなかった。 回復呪文を唱えればいとも簡単に傷は癒えるがそれに頼り切ってしまうと直に回復できるからといって無茶をするようになったり、自己の持つ自然治癒力を衰えさせることになりかねない。 それ故にルイは戦闘中やそれに準ずる状況でもない限り、魔法だけで完全に治癒することは避ける様にしているのだ。
「私はまたすぐに里を出ます。彼が元通りの生活が出来るようになるまで、面倒を見たりはしませんよ。 どうすればいいのか、解りますね?」
「…はい。」
 ルイが言外に言おうとしていることを察し、アンはしっかりと頷いた。

 その後、アンの懸命な世話により、青年の体力が戻り始めたころを見計らって、ルイは再び旅に出た。
 こうして、奇跡的に帰還したルイの存在により、この事件は最良の形で幕を下ろしたように思われた。




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  ルイさんはエルフの里の中ではそれなりの地位を持つ人です。
  見た目は子どもですが実は女王さまと同じくらい年を食ってます。








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