第31話−闇の訪問者






 イシス城に戻り、することもなくあてがわれた自室に篭っていたシキは、夜が更け皆が寝静まった頃になって部屋の扉を開けた。 嫌な予感がしたのだ。不吉な何かがこの城の中に現れたような気配を感じそれに惹かれるように彼は部屋を出た。 気配といってもそれは気のせいかと思えるほどの微弱なものでシキは自分の勘を頼りに広い城の中を進んでいった。
 城の入り口付近の広間まで辿り着き、シキはぴたりと足を止めた。広間の隅の一番影の濃い場所に立つ一匹の猫を見つけ彼はそれを凝視した。
 じっと此方を見据える猫――猫の姿をしているが実際には禍々しい気を発している。――に、彼は慎重にゆっくりと近づいていく。
『ほお…勇者なる者に忠告をしに来たのだが、まさかこんな場所で逢うことになるとはな。』
「魔族…!」
 猫の姿をしたものが頭に直接響くような声を発した。
 シキは内心舌打ちした。と同時にこの場に来たのが自分で・・・自分ひとりでよかったと安堵する。
『もう一人の娘の方はどうした。共にいるものだと思っていたのだがな。』
「……」
『まあいい。貴様等に一つ忠告しておくとしよう。』
「忠告だと…?そんなものにおとなしく従うと思っているのか?」
 シキのまとう空気が冷たいものへと変わっていく。
 シキが身構えるのを見て、魔族のものはフッと余裕の笑みを漏らした。
『好きにすればいい。私はただ忠告をしに来たに過ぎないのだからな。』
 そう言って暫らく黙って此方を見据えていたそのものは、氷原のように冷え冷えとした空気など意にも介さずスッと目を細め言い放った。
『我等に歯向かう事など止めることだ。命が惜しければな。』
 言い終えるや否や、もう用はないと言わんばかりに猫の姿が薄く透き通っていく。
「逃がすか!!」
 荒く怒鳴り、シキが猫の姿をした魔族に対して手を翳すと、凍った空気がそれに呼応して動く。  しかし、冷気が魔族を襲う前に、その姿は完全に掻き消え、異様な気配すらも一瞬にして消え去った。
『今回は見逃してやろう。だが次に逢う時は覚悟しておくことだな。』
 その声だけがどこからともなくシキの脳裏に響き渡った。

 一瞬のうちに気配すらも完全に掻き消えたことにシキは舌打した。今からその気配を探ったところでもう見付けることは出来ないだろう。
 シキは掻き消えた気配を追うことを早々に諦めゆっくりと腕を下ろした。
 かさっ。と彼の背後から物音が聞こえたのはその直後のことだった。シキはさっと背後を振り返り柱にもたれかかって此方を窺っている人物に驚きの声を漏らした。
「ティル…!」
「……」
 ティルはいつも皆に見せているどんな表情とも違った、感情の無い表情で、先程まで魔族のものがいた場所をじっと見続けている。
 シキはそんな彼女から目を逸らしその場を離れようと早足に歩き出した。
「…また…」
 ティルの横を通り過ぎようとしたその時、ティルがポツリと口を開く。 それに反応しピタリとシキの足が止まった。それを見もせず確認しティルは続ける。
「また何も、言ってくれないんだ。そうやって全部一人で抱え込もうとする…」
 あの時みたいに。と、ティルの続けたその言葉にシキの瞳が動揺に見開かれた。それは一瞬のことで、シキはすぐ目を伏せ再び歩を進め始めた。

「……。」
 シキがその場を去るとティルは柱に寄り掛かるようにしてずるずるとその場に座り込んだ。
「……ハハ。」
 自嘲的な笑みを浮かべて掌で額を覆い、もう片方の手で胸元に下げられた赤い石を握り締めた。
「ダメだな、いつまでたっても……もう、守られたくはないのに…」
 どれだけ強くなっても、それでもあいつは一人だけで全てを抱え込もうとする。
「わたしが…そんなこと望んでないって、知ってるくせに…。」
 ティルはゆっくりと立ち上がり城の外へと向かって歩き始める。
「…強くなりたい。…心も……。せめて隣に立たせて貰えるくらいには。」
 砂漠の夜の冷たい風が吹くなか、ティルはじっとその空を仰いだ。



 数日後、オアシスのほとりに、レイはひとり腰を下ろし膝を抱えていた。
 先日同様城を抜け出してきたのだが彼女が城を抜け出すのは日常茶飯事なので城は大騒ぎにはなっていないはずだ。
 尤も、騒ぎになっていたとしても今のレイにはそんなことを気にするつもりはないのだが・・・
 レイは悩んでいるのだ。今までのようにユウたちと共に旅をしたい。 だが、レイがこの国の姫だと知ったユウがレイのことを連れて行ってくれるかどうか分からない。仮に彼が良いと言ってくれたとしてもだからといって彼女の母がそれを認めてくれるかどうかも分からないのだ。
 自ら彼らに頼みに行って断られるのが怖かった。だが、放っておけば彼らは再び旅立ってしまうだろう。
(…やっぱりユウの所に行くべきよね。)
 レイが決意を決めて立ち上がろうと地に手をつけた時だった。
「こんな所に居たんだ。」
 突然背後から声をかけられレイは一瞬ビクンと震えた後に振り向いた。

 いつも高いところで二つに括っている金髪を無造作に一つに束ねたラフな稽古着姿のその少女にレイはあっと声を上げた。
「ティル。どうして此処に!?」
「どうしてって、修行。」
 驚くレイを他所にティルは近くにあった木陰に移動する。
「修行って…大丈夫なの…?」
 因みに、レイは、レイを始めとしてユウも、その他のイシスの城の面々も、ティルとシキがあの夜城内で魔族と接触したことを知りはしない。 その為、彼女が大丈夫かと尋ねたのは、それとは全く違う事柄である。
 イシスに来るまでの砂漠の気候で、一番まいっていたのはティルである。そのティルが外に修行に来たということにレイは驚いた。 ティルはレイが言わんとしている事を理解して苦笑を浮かべた。
「少しだけならね。…それにレイを探してたんだ。」
「わたしを?」
「うん。城じゃあ騒ぎになってるよ。」
 ティルが悪戯っぽく笑ったのを見てレイは怪訝な顔をした。
「そんなことのために探しにきたの?」
「ううん。言いたいことがあったから。」
 その言葉に、レイは自身の表情が強張るのを感じた。ゴクンと唾を飲み込みギュッと拳を握りティルの次の言葉を待つ。
「今ユウが女王様のところにも言いに言ってるんだけどね。」
 ティルは一度言葉を切り、レイの様子を見てふっと微笑みを浮かべる。
「私たち、明日ここを出ることにしたから。」
「……うん。」
「正午まで城門の前で待ってるから、後はレイが自分で決めて。」
「えっ!?」
 レイは自分の耳を疑った。着いて来るなと言われるのではないかとその不安ばかりが心の中にはあったのだ。レイは目を丸くして訊ねる。
「わたし、着いて行ってもいいの??」
「ただし、ちゃんと女王様の許可は貰うこと。気掛かりなことは、なくしておいた方がいいからね。」
「うん!!」
 レイははっきりと、勢いをつけて頷いた。


「そうですか…もっとゆっくりとして行って下さって構いませんのに…」
 ティルがレイに対して話し始めたのとちょうど同じ頃、この国の女王は心底残念そうにユウの話を聞いていた。
「あの、それで…レイ…アーナさまのことなんですけど……」
 いつものように『レイ』と言ってしまいそうになり急いで後を続けるユウの様子に女王はくすくすと微笑んで言う。
「レイ。で構いませんよ。貴方の呼びやすいようにお呼び下さい。」
「あっ、はい。…あの」
「はい。」
「レイが、この国にとってとても大切な人であることは解っています。…でも、僕たちはまだレイと一緒に旅がしたいんです。お願いします!レイと一緒に旅をさせて下さい!!」
 無茶な頼みだという事は重々承知の上だがそれでも誠意をこめて、深く深く頭を下げた。 対するイシス女王は彼がそうする事を予期していたように、浮かべていた微笑みを崩す様子はない。
「ユウ様。顔をお上げください。」
 そう言われユウはゆっくりと頭を上げる。
「あの子の事について今この場ではなんとも申し上げることは出来ません。」
「……」
 やはり駄目だということだろうかとユウが落胆の色を示したその時だった。
「それはこれからのあの子次第です。」
 えっ?とユウは思わず訊ね返した。
「あの子がきちんと旅をしたいとわたくしの所へ話に来たのならそこに誠意があるのならわたくしはあの子が旅に出ることを認めます。 …でも、もしもあの子がわたくしのところに来なければその時は……ですからここでわたくしの口からその事について申し上げることは出来ません。」
「…わかりました。」

「あの、ユウ様。」
 突然の女王からの呼びかけにユウは疑問符を浮かべた。
「これはそのお話とは全く関係のないことなのですけれども……」
「なにか?」
「アリア様はお元気でしょうか?」
 予想だにしていなかった言葉にユウは驚きの表情を示した。
「母さんのこと知ってるんですか!!」
 その言葉に今度は女王のほうが驚いて見せた。
「アリア様からお聞きになっていないのですか?」
「…母さんは、昔のことを話そうとしないので……」
「…そう、ですか。」
 女王は暫らくのあいだ、話すか話すまいか迷っていたが、すぐにポツリと話し始めた。
「アリアハンの勇者オルテガ様にサマンオサの勇者サイモン様。テドンの賢者ラデュシュ様にダーマの賢者アリア様。昔、彼等が四人で旅をしていた頃、彼等はよくわたくしの所を訪れて来てくださいました。」
「母さんと…父さんが…?」
 母が昔、父と共に旅をしていたことは知っていたがその時の話を聞くのはこれが初めてのことだった。
「ええ。その度に身分上外に出られないわたくしに色々な話をお聞かせ下さったのです。」
 でも…と彼女は言葉を濁した。
「オルテガ様は魔王討伐の旅に出て亡くなられたと言われていますし、サイモン様も行方不明に…同じようにラデュシュ様も魔王復活の後行方が知れません。それでアリア様のことがずっと気に掛かっていたのです。」
「そう、ですか。」
 暫らくの沈黙が訪れる。
「母さんは、」
 先に口を開いたのはユウの方だった。
「母さんは元気にやってますよ。ただ…さっきも言った通り昔のことを話そうとはしませんが。」
「そうですか。」
 女王は悲しそうに微笑んで見せた。
「ユウ様。突然こんなことをお聞きして申し訳ありませんでした。ご自宅に戻られるときにはたまにお暇な時にでも何か連絡を下さると嬉しい。とわたくしが言っていたと伝えておいて頂けないでしょうか。」
「はい。わかりました。」
 ユウは力一杯頷いた。


 翌日。其々に準備を済ませイシス城の城門前に集まったユウ、ティル、シキの三人は、約束の時間を前にもう一人の仲間であるレイが現れるのを心待ちにしていた。
「…レイ。来るかなぁ…?」
 ユウが城の方を覗きながら誰にともなく訊ねる。
「来るよ。絶対に。」
 やけに自信満々にティルが答える。
「でも…」
 ユウは不安気に空を見上げた。約束の正午はもう目前に迫ってきている。
 ユウがもう一度視線を城の方向に移したその時。
「ユウ!ティル!シキ!!」
 それとは別の方向から聞きなれた声が聞こえた。
「レイ!!」
 ティルの歓喜の声に数瞬遅れ、ユウはその方向へと振り返った。
「レイ。」
 背中あたりでそろえられた真紅の髪、その色とよく合う黒色の袖のない上着を羽織り、手には杖が持たれている。 今までとは違う、誰が見ても魔法使いだと解る装束だ。
「お待たせ。みんな。」
 レイはサッと姿勢を正し、すぅっと息を吸い込み三人に向けて頭を下げた。
「レイアーナ・ナディ・ファラオ・イシスです!これから宜しくお願いします!!」


「貴女の意志は変わらないのですね。」
 問いかける母に彼女はしっかりと頷いた。
「…分かりました。旅に出ることは認めましょう。ただし――」
「――商人のレイとしてではなく、イシスの王女のレイアーナとして旅に同行すること。」
 母の言葉に彼女は心底嬉しそうに笑みを浮かた。  




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  レイの姓名について。レイアーナ=名前、ナディ=父方(王族でない方の親)の姓、
  ファラオ=初代から受け継がれる王の名、イシス=王家の姓。
  お忍びの際には専らレイアーナ=ナディと名乗ってます。
  イシス王家は先祖代々放浪癖の持ち主が多く生まれるので、
  城を抜け出す時に困らないよう王族でない方の親の姓を残す。というどうでもいい設定。








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