「父さんが、オルテガ=ディクトが嫌いなんじゃあないわ。ただ――」 何故、自分が今こんなことを言っているのか、ユイには解らなかった。ただ、それに続く科白は自然に口から躍り出た。 「約束を破った『勇者オルテガ』が許せないだけ。」 『俺が見た勇者はお前じゃあない。』 『死ぬ気か!?オルテガ。』 ユイがその科白を聴いたのは、今から十年以上も前、ユイがまだ幼い少女であった時のことだった。 誰がその科白を言ったのか顔も名前も全く覚えていない。 ただ、その日突然出掛けて行った父の後をこっそりと追って行きその場所に辿り着いたことと、 父の知り合いらしいその人物が先を見透かしたかのような物言いで父に何かを告げていたこと、 父がそれまでに見たことのない神妙な面持ちをしていたことは多少曖昧ではあるが記憶に残っている。 そして、その二つの科白だけは、何故かどれだけの時が経とうとも決して消えることなく頭の中に刻み込まれていた。 だから、それから数年が経ち、父が旅立つことになった時、ユイは父に対してこう言ったのだ。 「お父さん、絶対に、なにがあっても帰ってきてよ。」 その言葉を受け、オルテガはユイに視線を合わせて微笑んだ。 「ああ。絶対に帰ってくる。約束しよう。」 『約束しよう。』そう言った直後、物思いに耽った父が一瞬だけ、普段とは違った雰囲気を纏った気がした。 幼い時に一度だけみたその表情が勇者としての父の顔だということにユイはその時気付いた。 「約束よ。破ったら、絶対に許さないから。」 射刺すようなユイの視線にオルテガは真剣な表情で頷いた。 「ああ。必ずだ。世界を平和にして、必ず戻ってくる。」 そうして、旅立った父オルテガはその後二度とアリアハンに戻ることはなかった。 誰よりも、オルテガの帰りを待っていたのは、信じていたのはユイだった。 だからこそ、帰ってこなかった彼のことを、娘との約束よりも世界のために命を投げ出した『勇者』のことをユイは許すことが出来ないでいるのだ。 「…自分が死ぬって解ってて、旅立つなんて馬鹿じゃない!」 「…それでも、」 声を荒げるユイにカンダタは静かに、諭すような口調で言った。 「それでも、ほんの僅かでも可能性があるなら、それに賭けたかったんだろうよ。他でもない、お前達のために。」 「――っ! それでも、あたしは――!!」 それでも生きていてほしかった。とユイは口にすることが出来なかった。それは僅かに、心の中にほんの僅かに残る希望を自ら消し去ることを意味するからだ。 その代わりに、壁に突き立てた剣をゆっくりと引き抜く。 「行きなさいよ。」 「いいのか?」 その言葉に、カンダタは静かに問うた。 「俺を捕まえるんじゃあなかったのか?」 (こんな気持ちで、出来るわけ、ないじゃない…) 「やる気が失せたわ。」 本音とは違う言葉をユイはそっけなく言い放った。 その様子を見てカンダタはクツクツと笑みを浮かべた。 「やっぱりお前、オルテガとアリア嬢の娘だよ。」 「うるさい!さっさと行きなさいよ。あたしの気が変わらないうちに!!」 声を荒げるユイに、カンダタは感謝の意を込めて軽く手を上げると部下を引き連れ外へと向かおうとするが、 なにやら思うところがあったのかふと独り立ち止まり、ゆっくりとティルとシキに目を向けた。 怪訝に眉を寄せるシキと若干不思議そうに首を傾けるティルとを一瞥するとカンダタは再びユイに向き直った。 「ラデュシュ。」 その一言にティルとシキが僅かに身を強張らせたことにユウは気付いた。 (ラデュシュ…行方不明の、父さんの仲間。) イシスの女王に聴いた言葉が脳裏に浮かぶ。しかし、カンダタが今、 その名を呼んだ理由も、その名にティルとシキがそのような反応を見せる理由も、ユウには全く理解できない。 それはユイの側も同じのようでカンダタを見据え顔を歪める。 「ラデュシュ…、ラデュシュ=ディーア=テドン?」 どうやら、鎖国状態のアリアハンにいたユウとは違い、ダーマで修行し大陸を旅したユイはその人物について少なからず情報を持っているようだ。 「テドンの賢者がどうかしたわけ?」 意図が掴めず苦い顔をして訊ねるユイにカンダタは「まあ聴けよ。」と微笑を浮かべる。 しかし彼の表情は直ぐにもとの真剣なものへと戻っていった。 「オルテガに忠告した人物は、先を見透かすような物言いをしていたといっていたな?」 「え、えぇ。」 「だとすれば、お前が見たというのはラデュシュだろうよ。少なくとも、俺の知る中でオルテガと親しく且つ先見の力を持つものなどラデュシュ以外に存在しない。」 「後はお前の好きにするといい。 気を付けろよ。」 最後にそう言い残すとカンダタは今度こそ姿を消した。 なんとも言えない沈黙の中、カンダタとその三人の部下たちの靴音だけが響いていた。 やがて、その靴音が完全に消えた頃、ユイは漸く手にしていた剣を鞘に収めた。 「さて。」 ユイは全員の方に向き直った。 その顔には何処か吹っ切れたような表情が浮かんでいて、彼女をよく知るユウとエルは安堵の息を落とし、心の中でカンダタに礼を述べた。 「帰るわよ。」 ユイは全員を見渡し、最後に森色の髪の少女に目を向けた。 「貴女も、ね。」 その優しい微笑みに、エミリは漸く緊張を解きほっと胸を撫で下ろした。 back 1st top next あと1話、後日談でバハラタ編終了です。 |