第50話−悟りの書






 それ以降は、多少魔物に苦戦したり道に迷ったりはしながらも順調に塔の内部を進んでいた。そして、五階へと続く階段を上りながら、ユウは言った。
「そろそろ、最上階に着くころですよね。」
「そうだな。外から見た構造的に、せいぜい後一、二階位だと思うぜ。」
 レオもそれに同意を示し、漸く苦労したガルナの塔の探索も終わりを迎えるかと安堵したその直後。
「………」
 誰もが、それを見て声を失った。
「あれは……」
 エミリはその先を告げたくないと言わんばかりに不自然に口をつぐんだ。その視線の先には東西二本に分かれてそびえ立つ尖塔のうちのこの場所から空を挟んでそびえ立つもう一方の塔がある。
「…またかよ」
 レオがうんざりとした様子で頭を抱え溜息を吐く。こちらとあちらの尖塔との間の空間には先程もあった一本のロープが繋がれている。
「さっきの倍以上はあるじゃない!」
 最後に、レイの泣叫びにも近い叫び声を聞きながら、ユウは乾いた笑い声を上げた。

「大丈夫か? ゆっくりでいいから、おちついて。」
 先頭を務めながらレオは後ろを危なげに歩くエミリへと声をかけ、時おり手を貸しながら進んでいく。
 本日二度目の綱渡りに一瞬探索意欲を失くしかけた彼らだが、一番に現実を受け止めたユウの「行きましょう。」という一言に腹を括って進みだした。
 まず先頭にバランス感覚のいいレオが行き、彼の直ぐ後ろに未だ不安定なエミリが続く。その次にはレイ――慣れてきたのか先程よりか安定した動きになってきた――が続き、しんがりをユウが務める。 その陣形で四人はゆっくりと時間をかけて慎重に一本の縄の上を進んでいた。しっかりと固定されピクリとも動かないロープはこれ幸いといえるだろう。
 そうして、全体がロープの中心辺りに辿り着いたその時。

「グルルルル……」

 空気を揺らして響いたその声に誰もが顔を真っ青にした。
「うそ…!」
「こんなところで!」
 先程、塔の一階でも遭遇した橙色の飛竜が中空でとぐろを巻いている。
「シャアアアアア!」
 勢いづけて降下した竜は寸分違わず一同の中心を狙っていて、
「エミリ!!」
「レイ!!」
 レオとユウは咄嗟に竜の口が迫る位置にいる少女達を引き寄せる。が、

 ブツン

 やけに大きくその音が響いた。
 竜の牙によって無残にも中心で分断されたロープは、左右から掛かる力の均衡を失って大きくうねりながら垂れ下がって行く。当然、その上に乗る者達もただでは済まない。
「うわぁああ!!」
 一瞬の浮遊感の後に見舞われた落下の感覚にユウは叫んだ。おまけに上では獰猛な眼をした飛竜が此方を狙っている。
「くそっ」
 エミリを抱きかかえた状態でレオは迫り来る中央部の屋根を見て舌打した。そして声を張り上げ叫ぶ。
「エミリ、下に向かってバギだ!!レイサンも、イオを頼む!!」
 咄嗟の判断に、レイとエミリは言葉の意味を理解するよりも早く殆ど反射で手を下へと突き出した。
「バギ!」
「イオ!」
 詠唱も飛ばし発動された魔法に地面で小さな旋風と爆発が巻き起こった。
 ふわり、と上向きの爆風にユウ達の落下速度が弱まった。地面との衝突に向けて体制を整えたユウの耳に、ドッと鈍い音が届いた。

 落下の衝撃を受け流し、素早く体勢を整えたユウとレオは其々の得物を構え空を見上げた。
 しかしどんなに目を凝らしても、その目に先程の飛竜の橙色は映らない。
 そのまま注意深く上空の様子を探っていても、竜が現れる様子はない。
「どういうことだ…?」
 油断なく構えつつもやや呆気に取られた様子のレオの声に同意しユウも首を傾ける。
「……もしかして、さっきの――」
 ユウが先程聞いた音について言いかけたその時。
「グギャアアアア――!!」
 四人の耳に地を揺るがすような竜の咆哮が響き、そして途絶えた。
 しんとした静寂が辺りに訪れる。
「……なんだったんだ?」
「…さあ」
 呆気にとられて呆然と会話を交わす彼等だが、先程の咆哮が断末魔の叫びであろうことを彼等は悟っていた。 だが、いったい誰がどうやってあの獰猛な竜を退治したのか。結局それはこの場で解らず仕舞いに終わった。そして――


「見て、あれ――」
 暫く唖然としていたユウたちは、レイの声にはっと我に返って彼女の指す方向を見た。
 そこには地味だが細やかな装飾のなされた宝箱が強い存在感を放ち、安置されている。
「あれは…まさか…!」
 レオは掠れた声をあげ、その宝箱に駆け寄った。レオ以外の三人も、もしかすればと期待を抱きそちらへ駆け寄る。
「……。」
 レオがゆっくりと宝箱を開き、その中身をゆっくりと取り出した。
 ダーマの一族の紋様の入った分厚い巻物がそこにあった。
「これだ、悟りの書。」
 感動と興奮が入り混じった声音でレオが言う。
 大切そうにそれを懐に抱え上げたレオの様子に三人はふっと微笑んだ。
「地獄に仏とはこのことですね。」
「本当。苦労したんだから、絶対に賢者になりなさいよ。」
「ああ。」
 エミリとレイの言葉にレオはゆっくりと頷いた。そして、
「ありがとう。」
 悟りの書を探す冒険は、此処に終結を迎えた。


 遥か上空から、風のように降り立ちスカイドラゴンに突進したオストは東側の塔へと押し込んだ竜の身体を右手一本で押さえつけ感情の伴わぬ声で呟いた。
「本当は、様子見に着いて来ただけだったんだけどな…」
 押さえつけられ地に伏したスカイドラゴンは鋭い瞳でオストを見るがその目に先程までの獰猛な輝きはない。見れば竜の前足の直ぐ下の辺りの鱗が抉れそこからじわじわと鮮血があふれている。
 身を震わせながら竜は唸った。
『き…さま……同族殺しの…銀竜…』
 その背に広がる銀の羽がその言葉に答えるように閃く。
 人間には只の唸り声にしか聞こえないであろう声を聴き、オストは冷たい視線をスカイドラゴンへと送った。
「掟を破った魔物に、非難される謂れはないな。…さて、」
 オストはスカイドラゴンの身体を押さえつけていた手を引いた。しかし、既に深手を負わされた竜にそこから動くほどの力は残されていない。
「…見つけたら、何とかして改心を試み、それが無駄に終われば手を下す。それが俺の流儀なんだが……」
 オストは目を伏せ、後ろを振り返った。先程まで一本のロープで繋がっていた二つの尖塔の間を見やり、押すとは視線を元に戻した。
「俺は、仲間に手を出した奴には一切容赦はしないことにしてるんだ。あいつらは、大事な弟子達の仲間だから…」
 言うや否や、オストは既に虫の息となったスカイドラゴンの腹部の傷を負った部分に向かって勢いよく止めの一撃を繰り出した。
「じゃあな。」
 血の滴る腕を振り下ろし、断末魔の叫びを上げる飛竜に背を向けオストは無表情に呟いた。
 その、何処となく悲しげにも映る背中を見るものは、誰もいなかった。



 ユウ達がガルナの塔を攻略した三日後の朝、ダーマ神殿南東の宿場町。
「あの。」
「ああ、君は昨夜の…」
 カウンターの前に立ち、宿の主人に声をかけたティルは彼のその言葉に苦笑を浮かべた。
「昨日は遅くに押しかけてすいませんでした。」
「いやいや、此方こそたいした部屋もなく申し訳ない。」
 ダーマを出発してから一週間、夜の数時間の仮眠以外殆ど休み無しで歩き詰めたティルとシキは昨夜の深夜にこの町に到着した。これは他の旅人達では考えられないような速さである。
 それは奇しくもこの宿の主人がそろそろその日の営業を終えようと店を閉める前の確認として表に出たのと同じ時間で、二人は店主の好意に甘え押しかけるような形で昨晩の寝床を確保したのだ。
「ところで、シンラという人を探してるんですけど…」
「シンラ? それは私の名だが、私に何かようかい?」
 ティルはこの偶然に驚き軽く目を見開いたが直ぐに表情を戻し、彼に一通の手紙を差し出した。
「ダーマから、これを貴方に渡すよう使われてきました。ジパングに届けてほしいと。」
 シンラは手紙を受け取るとそれをまじまじと見た。差出人の名は無い。そして受取人は――。
「ふむ…これはひょっとして、オスト殿からのものかな?」
「ししょ…彼のことを知っているんですか?」
 ティルは今度こそ瞠目した。
「ああ。二、三ヶ月ほど前に訪ねて来てね。この町はジパングと唯一交流を持つ町だから、船を出してほしいと頼み込んできたんだよ。 私も彼が来るのと同じ頻度であの島に船を出しているからね、それで彼を乗せてやったんだ。それ以来、月に一度ほど卑弥呼様というジパングの巫女様宛に手紙を持ってくるようになったのさ。」
「そうなんですか。」
 シンラはティルに向かって微笑を浮かべ、手紙を軽く持ち上げた。
「しかし今回は都合が悪かったのかな? 確かに受け取ったよ。責任を持って届けさせてもらうと伝えておいて貰えるかな?」
「もちろん。」
 ティルが答えるとシンラはよろしく頼むよと笑みを見せ、そして突然表情を険しいものへと改めた。
「ところで、君達はダーマから来たんだよね。」
 突然の問いかけにティルは首を傾ける。
「そうだけど…それが何か?」
「いや、一昨日ダーマからキメラの翼で帰って来た奴がいるんだけどね。そいつの話だと何でも――」
 その先に続いた言葉に、ティルは大きく目を見開き、息を呑んだ。

「一週間近く前から、ダーマの近辺に、魔族がうろついているらしい。」




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  ガルナの塔探索終了。ダーマ編はもう少し続きます。








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