第51話−事件






 それがダーマ神殿を囲む霧深い森の中に現れたのは、奇しくもユウたちがガルナの塔に旅立った翌日のことであった。
 それは、現れると同時に森を包む神聖な空気を一転不気味なものへと変え、修行のためにこの地を訪れる人々を恐怖に陥れた。


 ザッ…ザッ…ザッ…
 濃い霧に包まれた森の奥深くから、規則的に重い足音が響く。周りに森に棲む獣たちの足音を携えながら、 何処までも規則的に、深く、暗く。
 ザッ…ザッ…ザッ…
 その足音が近付くにつれ、霧は濃く、森はさらに深く闇を増すような錯覚を覚える。  もしその足音を聞いた者に尋ねれば、おそらく十人が十人こう答えるであろう。まるで地獄の底から響くような不気味な音であったと。
 そしてその暗い相貌を見た者は・・・




  8.その背に映る幻



 往復一週間の旅路を得て、再び目にしたダーマの門にレイは安堵の息を溢した。
「ふぅ、漸く着いたわね。」
「ええ、本当に。」
 同意を示すエミリの表情にも疲労感は色濃く浮かんでいる。といっても二人の疲労の原因は往路と復路、各三日ずつの旅程よりもガルナの塔での無理な状態での魔力の行使にあるのだが。 気を抜いて安心して休むことの出来ない野宿ではその魔力も殆ど回復していない。その上に復路でも魔物の襲撃の際魔法を行使していたため二人の魔力は既に限界に近かった。
「ティルとシキ、戻ってきてるかなぁ」
 そんな二人を眺めながらユウは今は別行動中の二人の仲間の姿を思い浮かべる。
「どうでしょう、普通なら一週間で辿り着ける距離ではないと思うのですけど…」
「でも、あの二人がやるといったんだから、大丈夫よ。」
 勝負もしてるしね。と笑みを浮かべるレイにつられてエミリも微笑を浮かべる。が、一人気難しい表情で周囲の様子を探っているレオの姿を映し、直ぐにその表情は一変した。
「あの、どうかしましたか?」
「ん、ああ――」
 レオはエミリの問いにはっと我に返ると苦笑混じりの微笑を浮かべた。
「なんでもないよ。」
 そう答えつつレオは皆が前へと向き直った隙に振り返り、切れのある視線を周囲へと送った。
(…気のせいか、森の様子が前とは違う。……何かあったのか…?)
 しばし立ち止まっていたレオだが仲間達との距離が離れぬうちに向き直り、彼らに続いた。


 ダーマ神殿、旅人達に解放された食堂の端、いつもの定位置に着きオストは手帳に記した内容を読み返し嘆息した。
 開いた頁はユウ達よりも一足早くガルナの塔から帰還してから彼が書き記した文字で埋め尽くされていて、その内容は神殿周囲の森の中に出たという魔族の情報をかき集めたものである。
 とはいえ、人の間で魔族と呼ばれるほどの上位魔族が遭遇した人間を易々と見逃すはずもなく、神殿の中はこの話題で持ちきりだというにも拘らず目撃情報は少なく、 二日がかりで集めた中に有力な情報はなく相手がどれほどの実力の持ち主かもわかっていない。
「くそっ!」
 オストは、彼にしては珍しく余裕のない悪態をついた。
 冒険者達に聞き込みを続けてもこれ以上の成果は望めそうもないし、これ以上の被害が出る前に退治しに向かおうにも場所が特定できない以上四方を囲む森の中から探し出すのは困難である。 もしも無理に捜索を行って別の場所で誰かが襲われたときに気付けなければ本末転倒だ。そう考えるとこのダーマの地から身動きをとることが出来ない。
 そして、なによりも、
(ティルとシキを分けたのは、不味かったな…)
 なによりもそのことが悔いられる。
 勇者の実力が見たくて二人を彼らから分断したのだがこうなってしまうと心配なのは二人のほうだ。
 実力では劣るとはいえユウ達のことはオストは実はあまり心配していない。
 ガルナの塔での戦い方を見ていても、それほど無茶な戦い方をするようには見えなかったし、共に行動している賢者一族の青年はなかなかの切れ者のようである。 もしも森に差し掛かった際に魔族との遭遇があったとしても力量不足と判断すれば無謀な戦いは避け、機転を利かせて難を逃れるくらいのことはするだろうと踏んでいる。
 問題なのはティルとシキの側である。
 もし二人が旅先でこの騒ぎを聞きつけるようなことがあれば二人は確実に首を突っ込む。それがどんなに無謀なことだと解っていても。
 二人のことをよく知るオストにはそんな確信があった。
 そして、魔王の息の掛かった魔族のものが二人のことを見逃すことはないだろう。そうなれば、どちらが不利かは考えるまでもない。
 オストは髪をかき上げ舌打ちをした。
(なんであいつはこんな時に限っていないんだっ! あの役立たず!!)
 此処にはいない腐れ縁の相手へと、オストは心中で悪態を吐く。それが八つ当たりだと解っていても、オストはそう思わずにはいられなかった。


 ダーマ神殿南西、不気味なざわめきを見せる木々の合間に二つの影が降り立った。


 手帳を片手に思考に没頭していたオストは微かな視線を感じ顔を上げた。
「よー、お帰り。」
 気だるげな様子で軽く手を挙げ発せられた言葉にユウは戸惑いがちに、微笑を浮かべて返した。
「えと、ただいま。」
「おう。無事でなにより。」
 そんなユウに微笑みを返すとオストは彼らに席に着くよう促しながら今度はレオに視線を向けた。
「それで、首尾は?」
 もちろん、結果がどうであったのかは知っているがそんなことは一切表に出さない。少なくとも、今直ぐには。
「ああ、見つけてきたぜ。悟りの書。」
 そう答えるレオの表情からは満足感や達成感が伺える。もし此処にいるのがオストという得体の知れない少年ではなく気心の知れた長年の友人であれば彼は満面の笑みを浮かべて見せていたかも知れない。
 と、そんな反応を見せられればからかいたくなるのが人の――というか彼等の――性で、オストは一旦手帳を置くと頬杖を着き不敵な笑みを浮かべて見せた。
「お疲れさん。大変だっただろう。旅の扉を通ったり、命綱無しの綱渡りをしたり…」
 レオの眉がピクリと動くがもちろんオストはそんなことには動じない。
「隠された部屋を見つけたり、おまけに魔物は野放しだからなぁ。」
「随分と詳しいな。」
「そりゃあ、あそこは格好の修行場だからな。」
 疑心に満ちたレオの声にオストは飄々として答えた。
「よく修行に行ってるから大体のことは知ってるよ。何なら生息してる魔物の種類でもいってやろうか?」
「…もういい。」
 うんざりとした様子で告げたレオにオストはふうんと適当に応じ、直ぐに興味を失ったとばかりに視線を外した。
 そうして手帳に視線を戻したオストの真剣な眼差しにユウは気付いた。
「どうしたんですかそれ…?」
「ん、ちょっとな…」
 苦笑を浮かべ顔を上げたオストは直ぐに表情を戻し四人を見渡した。
「念のため聞いとくが、ティルとシキとは会ってないよな。」
 頷く四人。それを見てオストは落胆とも取れる溜息を落とした。
「もう一つ。森の中でやけに凶暴な魔物に襲われたりしなかったか?」
「そんなことはなかったけど…」
 つい先刻のことを思い出しレイが答える。それに付け足すようにしてレオが言葉を発した。
「……気のせいかもしれないが、森の様子がおかしいように感じた。…何かあったのか?」
「ああ。」
 先程までとは打って変わって真面目な声音でオストは答えた。
「ちょっと、不味いことになったかもしれない。」


「はぁ、はぁ、はぁ――」
 荒い呼吸を繰り返し、足をもつれさせながら一人の男が必死に森の中を走り続けていた。 彼の後方にはまるで糸で繋がっているかのように一定の距離を保ち男を追う暗い相貌がある。男はもうどれほどか解らない長い間それに追われていた。
「はぁ、はぁ……ひっ!!」
 とうとう力尽き立ち止まった男においつきそれは怪しい笑いを浮かべ手にした剣を振り上げた。
 もう駄目だ。と男が思い硬く目を閉じたその時、キィイインと甲高い金属音が響き渡った。
 恐る恐る目を開けた男の前に、一つの人影が過ぎった。
「あ……!」
 男は思わず声を漏らした。金色の髪を二つに結い上げた少女が装着した爪で自身を切り裂かんとしていた剣を受け止めている。
 男がそれを認めた瞬間、剣を手にしていたそれの姿が目の前から掻き消えた。それと入れ替わりに今度は銀髪の少年がそれの居た場所へと現れた。
「大丈夫!?」
 驚く男に振り返った少女が尋ねた。
「あ、ああ。」
 がくがくと震えながら答える男に少女は何かを突き出した。 木々の合間の暗がりから再びザッ…ザッ…と地を踏み締める音が近づいてくる。男が再び迫り来る恐怖に身体を更に大きく震わせたその時、少女が早口に耳打ちした。
「これで、早く安全なところに。」
 男はそこで漸く差し出されたものを見た。キメラの翼だ。
「わ、わかった、 いや、それじゃあ君たちは…?」
 今すぐにそれを受け取って逃げ出しそうになるのを辛うじて理性で押さえ訊ねた男に少女は強い口調で言った。
「私たちは大丈夫。だから早く!」
「――っ!」
 押し付けられるままにキメラの翼を受け取ると、もはや考えることもせずそれを空へ向けて放り投げた。    




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