第52話−魔族






 続々と現れる魔物達に囲まれ、ティルとシキは互いに背を合わせそれぞれの獲物を持つ手に力を込めて構えた。
 獰猛な唸り声を上げる魔物達は、魔族の持つ強い魔の気に当てられたのだろう。皆一様に普段より凶暴性を増していて、おまけに数も多い。さらに――
『ほぅ…奴の言っていたことは本当だったのか。』
 木々の合間の暗がりから再び姿を現した魔族は、暗い相貌をティルとシキに向けて、剥き出しの顎骨をかたかたと鳴らして笑った。
「……」
 二人は油断なく辺りに注意を向けながら、金の瞳で元凶たる魔族――地獄の騎士を睨みつける。相手はそれに臆することなく眼窩の奥から暗い光で二人を見据える。
『予定にはなかったが丁度いい。貴様等も纏めて始末してくれる。』
「そう何もかも思い通りに行くと思うなよ。返り討ちにしてやる…!」
 そう吐き捨てながら、シキは内心舌打ちした。相手の実力が高すぎる。ただでさえ凶暴化した大量の魔物に苦戦を強いられるのは必至だというのに、 それを捌きながら格上の相手と戦わなくてはならないこの状況はかなり危機的状態である。
「…さて、勢いで来ちゃったけど、どうしようか。」
 同じことを考えていたのであろう、ティルが頬に冷や汗を伝わせながら尋ねる。
「決まってるだろ。」
 此処まで来てしまった以上答えは言うまでもない。シキは油断なく魔物達を見据えて告げる。
「確かに。」
 ティルは小さく頷き腰を落とす。
「そっちは任せるからね!」
「ああ。油断するなよ!」
 互いに声を掛け合うと、二人は同時に飛び出した。


 深刻な面持ちで告げられたオストの言葉を、ユウは身を固くして反芻した。
「魔族が…!?」
「ああ。この辺りにはいるはずのないような、な。」
「…それで、被害は?」
 腕を組み尋ねるレオにオストは自身が記した手帳を差し出した。レオはそれを受け取ると遠慮なくそれを開け中に目を通す。
「調べが付いてるのはそれだけだ。随分と巧妙に動きまわっているようだから、なかなか足が掴めないんだけどな。」
 その言葉通り、手帳の中には、魔族の出現により凶暴化した森に住む魔物たちによる被害ばかりが記されていて、肝心の魔族に関する情報は殆ど記されていない。
「『魔族』か…厄介だな…」

 この場合『魔族』というのは竜、妖精、人間と並ぶ四つの種族の一つとしての魔族を指すものではない。
 妖精族にエルフやホビットなど多くの種の分類があるように、魔族も多くの種の統合によって構成されている。 その種の分類法は様々であるが、その中で最も大まかな分類法が『魔族』と『魔物』である。
 この場合の『魔族』というのは高い戦闘力と知能を持ち言語を操るものたちを指し、対して『魔物』は戦闘力、知能の低いものたちを指す。
 また『魔物』と呼ばれるものたちの中には、大きく種族としては別の種族に属しながら、魔に堕ちその種族として踏み外した道を歩むものたちのことも含む。 妖精族のダークホビット、人間の殺人鬼、竜族ではユウたちが数日前ガルナの塔で遭遇したスカイドラゴンなどがそうだ。
 『魔族』は『魔物』の上に立ち、高い知能と戦闘力で他の種族の脅威となる。その力は人間や妖精を軽く凌ぎ、竜族に届くほどであるとさえも云われている。
 このように、人間や妖精の中では特に、種族として全体を魔族と呼ぶ事よりも、そのものの強さや知能などに応じて『魔族』と『魔物』と呼び分けることが多い。
 人里から離れ、魔族と遭遇する事が多い冒険者の間では特にその傾向が高くなる。 実力によって相手の呼び方を二分することによって、相手の実力がどの程度であるかということの予測を付けやすくし、無理な戦いを避けるためである。
 因みに、ユウは未だこの分類において魔族と呼ばれるほどの実力者と出会ったことはない。

「それも、かなりの実力者だろうな。腕に自信がある奴が勇み出て行ったらしいが、未だ誰ひとり帰って来てない。」
「それって……」
「ああ。そういうことだろうな。」
 レイが言わんとした事にオストは淡々と頷き、エミリは目を伏せ空に十字を切った。
「そんな、早くなんとかしないと…」
 神妙な面持ちで呟くユウを見やり、オストは首を振った。
「森の何処にいるかも解らない。下手に探すのは時間を食うだけだと思うぞ。それに、無謀な戦いはやめておけ。無駄に命を落とすだけだ。」
「でもそれじゃあ…」
「此処にいる連中は皆それなりに経験を積んだ実力者だ。確かに血の気の多い奴等は出て行ったが、 そいつらが帰って来ない今、無謀だと判断すれば出て行く奴なんかいないよ。どうやらダーマの結界の中までは入って来れないようだし、ほとぼりが冷めるまで大人しくしてれば済む話だからな。」
 オストは辺りを見渡しながらそう告げる。この食堂や宿の内部には普段より多く冒険者たちがたむろしているのだが、それはそういった理由からである。
 彼等は自分たちの実力では森に現れた魔族には敵わないと判断してこの事件が解決するのを待っているのだ。 己の力を過信した者や、正義感の強い血の気の多い連中は、魔族が現れてすぐの頃に出て行ったきりのようだから、此処にいる者たちが賢明なものたちばかりなら、これ以上この中から被害が出ることはないだろう。
 但し、噂を知らずに今現在ダーマに向かって来ているものたちはこの限りではないが、オストは敢えてその事を口にはしなかった。 それを告げた事によって彼等が正義感に駆られて魔族の討伐に向かってしまったとなっては彼等を命の危険に晒すことになるからだ。
 さらに、レオがオストの言葉に補足するようにして続けた。
「…それに、俺はもともと戦闘は得意じゃないし、レイサンやエミリはもう魔力が尽きてるしな。どの道今すぐ行く事は出来ないぜ。…せめてシキサンとティルサンがいれば別なんだろうけどな。」
「そう。問題はそこだ。」
 レオの言葉にオストは頭を抱えて低い声で唸った。
「問題って…なにが?」
 オストの発言が何処に掛かった言葉なのかが掴めず、自分の事を言われたのかもしれないという思いから、 些か気分を害したレイがややきつい調子で尋ねる。だが、オストの答えはレイの想像とは違っていた。
「ティルとシキだよ。」
 深いため息とともに吐き出された言葉に一同は目を瞬かせる。
「えっ…?だってティルとシキは…」
 二人は現在オストの使いとして、ダーマから離れた宿場町へと向かっているはずである。 二人の立てた予定の通りならば、そろそろ用を済ませてキメラの翼を利用して帰ってくる頃だろうか。
「…そうなんだけどな、どうも嫌な予感が。噂ってのは何処に転がってるか解らないもんだし……」
 難しい表情で唸るオスト。
「考えすぎなんじゃねーの?大体、もし本当にそんなことが二人の耳に届いたとしても、あの二人なら避けるべきかどうかの判断くらい出来るだろ。」
 一行の中で一番冒険者としての経験が長いのがティルとシキの二人である。性格的に見てもそういった判断は冷静に行えるであろうと踏んでのレオの発言であったが、 オストはそれに首を振って返した。
「出来ないよ、あいつらは。もしこの騒ぎを聞きつけたとしたら、確実に足を踏み入れるだろうな。 おまけに、相手が魔族ともなるとあの二人絶対冷静じゃあない。あいつらは冷静さを失うと逃げるっていう選択肢がなくなるから厄介なんだ。」
 レオとは正反対のオストの評価に、ユウたちは驚きを隠せない。だが、そんな彼等を余所にオストは続けて呟く。
「それに、魔族の側もあいつらのことを見つけたら――」
 小さく、最後には音になるかならないか程の微かな声で呟かれた言葉はユウの耳には届かなかった。そしてその先に続く言葉をユウが尋ねようとしたその時、 ふとオストは遠方へと視線を移した。
「…騒がしいな。」
 その言葉にユウたちは揃って疑問符を浮かべる。広い旅人向けの食堂の中でも最奥にあたるこの近辺には、他の冒険者の姿はあまりなく、喧騒は聞こえるものの場所柄を考えれば静かなものである。 先程までと周囲の状況が変わった様子もない。
「騒がしいって、何処が…?」
「あ、レイさん、入口の方です。」
 エルフの血を引くエミリが、人間のそれより優れた耳で、オストの言う騒がしいという場所を突き止めて指差す。そちらを見やれば何やら人だかりが形成されて人々が慌てた様子で言葉を交わし合っているのが解るが、 残念ながら此処からでは、周りの喧騒に遮られユウたちには聞きとることが出来ない。
「何かあったのかな?」
「私もそこまでは…」
 ユウやエミリ達の疑問に、平然とオストが答えた。
「どうやら怪我人が出た様だぞ。回復呪文の使い手を探しているようだ。」
 その言葉を聞いた瞬間に、エミリは弾かれたように席を立った。
「わ、私、行ってきます。まだ少しならお役にたてると思いますから!」
「あ、僕も…!」
 そんなエミリに慌ててユウが続き、更にその後にレイが続いた。
「待って、私も行くわ。」
「そうだな。何かあったのなら人手は多い方がいいし。」
 既に多くの人が集まっているようだが、その様子を見る限り冷静な人間は少ないように思われる。 そう分析し、レオが続いて、その場所にはオスト一人が残された。
「…嫌な予感が、当たってなきゃいいんだけどな。」
 オストは、ハーフエルフのエミリ以上に優れた聴力と視力を使って、事の流れを観察しながら、先程から続いている嫌な予感を拭うように息を吐いた。

 その予感が当たっている事を、オストは直に知ることとなる。  




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