濃い霧の中、ユウは前を走るオストを見失わないよう目を凝らしつつ懸命に彼の後に続く。 風を思わせるような速さで掛けるオストに追い付くことなど到底不可能かと思われたが、彼が時折方向を確かめるように立ち止る為、ユウはなんとかオストに続く事が出来ている。 それにダーマで告げられた言葉とは裏腹に、オストは後を追うユウの事を気に留めている様子で、ふと此方を気遣ってペースを緩める事があるのもユウとしては有難かった。 とはいえ、広い森の中を全力疾走で駆け抜けるというのだから、やがて体力は限界に達し、ユウの走る速度が落ち始めたその時、突如オストはダンと音を立てて立ち止った。 「はぁ…はぁ…オスト、さん?」 「…近いな。」 漸く追い付いて荒い呼吸を繰り返すユウに、オストは至って平常通りにそう告げた。 オストの言葉にユウは注意して辺りを見渡すが、森の中は嫌なざわめきに満ちているもののそれまで通ってきた場所と大した変化は見受けられない。 「どうして、そんなことが…?」 首を傾けるユウにオストは得意気に口元を釣り上げて見せた。 「俺はお前らとは違うからな。人間より鼻が利くんだよ。」 オストは前へと向き直り一度辺りを見渡すと、迷いなく方向を定めて一歩踏み出した。そして思い出したかのようにふとユウへと向き直る。 「此処からは、何時でも戦えるように構えとけよ。ユウ。」 ユウは頷き腰に下げた剣を引き抜き慎重にオストの後を追った。 つぅ、と、赤い雫がシキの腕を滴って地面に落ちる。肩口に刺さった剣は一本。 地獄の騎士の六つの腕はその六つがそれぞればらばらにではなく規則的に動かされていたので、その軌跡を読み鞭と短剣を駆使してなんとか軌道を逸らせたのだが、一つだけ逸らしきる事が出来なかった。 『ほぉ。』 この状況で五つの剣を避けられるとは思っていなかったであろう。鞭に絡め取られて僅かばかり軌道をずらされた残りの剣とシキとを見比べて 地獄の騎士が声を漏らす。皮も肉も無い骸骨の表情を読むことは出来ないが、恐らくは笑みを浮かべているのだろうと、容易に想像がついた。 「うぐっ…はぁ…はぁ…」 肩の痛みにより緩んだ手から鞭が取り落とされる。それにより地獄の騎士の五本の腕は解放され、地獄の騎士はシキの肩口に刺さった六本目の剣を引き抜くと距離を開けた。 「――っぅ!」 声を抑えた悲鳴と共に、シキの肩から鮮血が溢れる。 「―――ぁ、」 そんなシキの様子を焦点の合わぬ瞳で見上げながら、ティルは微かに声を漏らした。 ――迫りくる魔物との間に滑り込んだ大きな背中を、ティルは瞳を潤ませて見詰めていた。 『何をしている!!』 自らの腕に噛み付いた魔物を払い飛ばし、その魔物に対して杖の先端を突き付けながら『彼』は叫んだ。 たった一度の呪文によって瞬く間に魔物に止めを指すと『彼』は腕の傷など意にも介さぬ様子で振り返り、 今までに見せた事のない厳しい形相で叫んだ。 『行けっ!!』 その言葉は絶対に逆らえない魔法であるかのようにティル達から他の選択肢を奪い、 そして―― 「―――ぁ、」 突如自分と魔族との間に飛び込んだシキの姿。その姿が『彼』と重なりティルは掠れた声を上げた。 「…と……さ…っ」 殆ど音にならない微かに唇が綴った程度のその言葉を、丁度彼女の無事を確かめるように振り返ったシキが目聡く読み取り、目を見開いて身を強張らせた。 「―っ、ティル!」 シキは常ならばあり得ないような、複雑な感情が入り混じった表情で余裕のない声を上げ、名を呼ばれたティルはビクンと大きく身を震わせると漸く焦点のあった瞳をシキに向けた。 「ぁ――シキ…」 ティルは未だ弱々しい声を上げたが、シキがそんな彼女に対して何事か口を開きかけたその時、ハッと目を見開いて叫んだ。 「シキ!前っ!!」 「!!」 シキはティルが言わんとした事を瞬時に理解すると視線を戻した。その先には再び攻撃態勢に入り地を蹴った地獄の騎士の姿。 ほんの数秒とはいえ今が戦闘中であることを完全に失念していた。それも相手は自分たちよりも上手である。その間が完全に命取りとなった。 地獄の騎士の攻撃が届くまで数瞬、シキは咄嗟にその攻撃を回避しようと地を蹴ろうとして、理性でそれを押し止めた。 シキが避ければ地獄の騎士は狙いをティルへと切り換えるだろう。未だ状態を崩したままのティルが攻撃を避けられるかどうか。 シキにはその可能性について考える余裕はなかった。冷静さを欠いた頭で考えていた事は一つ、守らなければ。ただそれだけで・・・ 「っ駄目!シキ!!」 ティルの悲痛な叫びを聞きながら、シキは短剣を握る手を前に出し、傷の痛むもう片方の手に力を籠める。同時に、ティルは立ちあがろうと膝を付いた状態で、咄嗟に前へと手を翳した。 空気が凍る。その直後。 『!!』 突如地獄の騎士は足を止め跳び退いた。次の瞬間地獄の騎士が通ったであろうその場所に凄まじい勢いで人影が現れる。 「「!?」」 『ちっ…邪魔をしおって。』 何事かと目を見開くティルとシキ。対して地獄の騎士は厳重な構えを就くって舌打ちした。 「ふぅ、間一髪ってところか。」 「…あ、」 「オスト、師匠…」 科白のわりには呑気な声音で言い放つ師の姿に、二人は驚きつつも肩を落として安堵の息を吐いた。 オストから遅れること少し、辺りに残る魔物を倒しながらユウが姿を現した。 「二人とも、大丈夫?」 「ああ。」 「って、全然大丈夫じゃないじゃん!」 事も無げに頷くシキの惨状にユウは目を見開きすぐさま駆け寄って回復呪文を唱えた。 「これくらいどうってことない。それより、お前らどうして…?」 どうってことないという訳が無いという事は出血量とだらりと垂れ下がったままの腕を見れば一目瞭然である。だが、そんなことで問答を繰り広げる事よりも今は治療を進める事の方が先決である。 ユウはシキの言葉の前半分は無視して呪文を維持し続けながら後ろ半分に答えた。 「魔族に襲われて逃げてきたっていう人が、二人に助けてもらったって教えてくれたんだ。」 「そうか。」 シキは傷口を押さえ白い息を吐きながら頷いた。その時、オストと睨み合う形で静止していた地獄の騎士がユウへと視線を向けて唸るような声を発した。 『成程、貴様が勇者か。』 殺気立った様子で空の相貌を煌めかせるその仕草にユウは思わず身構える。 「おっと、」 そんな地獄の騎士の視線を遮るようにオストが立ちはだかり眼を細めた。 「まだ暴れたりないというのなら、お前の相手は俺だぜ?」 地獄の騎士の殺気にも劣らぬそれを纏いながら、オストは表情を殺して告げる。 「本気で相手してやる。来いよ。」 『……』 睨み合う両者の間を風が吹き抜ける。どれくらいそうしていたのだろうか、先に動いたのは地獄の騎士の方であった。 『否、止めておこう。俺とて貴様に喧嘩を売るほど馬鹿ではない。』 地獄の騎士はそう言い捨て構えを解くとあろうことか無防備に相手に背を向け森の奥、霧の向こう側へと歩み去った。 『命拾いしたな、人間ども。』 そんな捨て台詞を残しながら。 指揮を取っていた魔族が姿を消すと、森の魔物たちは途端に普段の落ち着きを取り戻し、彼らもまた森の奥へと姿を消した。 オストは後を追おうとはしなかった。魔族たちが姿を消すとふんと鼻で息を鳴らして振り返り、 「まったく、無茶しやがって。」 シキとティルを見据えて言い捨てた。 「悪ぃ…」 「……」 素直に反省の色を示したシキに反してティルからは何の返答もない。彼女はオストが現れた後座り込んだ姿勢のままで、俯き唇を噛締め動こうとしない。 「…?ティル?」 怪訝に思ったユウが名を呼んでも全く反応は返ってこない。 「おい、どうした?」 まさか酷い傷でも負っているのだろうかと、自分の傷はさて置いて、シキはティルに歩み寄り手を差し出す。が、 パチン。と、乾いた音を立ててその手は弾かれた。 「!?」 「ティル!?」 驚くシキやユウには目もくれず、ティルはのろのろと立ち上がると俯いたまま口を開いた。 「…いつもいつも、そうやって、自分の事犠牲にして、私のことばっかり庇って、」 小さくない声音で発せられたその言葉は、怒りの為に震えている。ティルはそこで漸く顔を上げ、泣く寸前のような表情でシキを睨みつけた。 「私がそんなこと望んでないって知ってるくせに!!あの時だって――っ」 「…っ!」 表情を崩すシキ。だがティルはそんなことは気にも留めずに続けた。 「ふざけないでよ!!私が、何を望んでるか知ってるくせに!!そういうところが、」 ティルはさらに視線を厳しくし、シキに叩きつけると言い放った。 「大っ嫌い!!」 言い捨てると、ティルは踵を返し、駆け出した。 「あっ!ティル!!」 ユウが思わず追おうとするが、森の木々や濃い霧によって視界が悪い事も手伝って、既に彼女の姿を捉える事は出来ない。 「放っとけ。」 「でも…!」 シキの言葉に振り返ったユウは、彼の様子に息を呑んだ。 怒っている。それはもう盛大に。普段レイのどのようなドジに巻き込まれても、突如ユイに絡まれたとしても大して表情も変えずに平然としているというのに、 全身から怒りに満ちた雰囲気を発して、シキはティルが走り去った方向を睨みつけていた。 ダンッ。シキは拳に力を籠めると傍にあった木の幹を思いきり殴りつけた。 「…あの野郎!俺が、どうしたいか、知ってるくせに!」 低く唸るように呟かれたその科白は、ティルが言い捨てたものと酷似していた。 back 1st top next 流血沙汰とかってどのあたりまで制限なし忠告なしでやっていいのか解りません…この程度なら大丈夫ですよね? イラスト部屋に4.5話と称した落書き2コマ漫画置いてます。本編の雰囲気に反してギャグです。 イラスト部屋へはこちら。 絵の方は残念なクオリティですが;下手な絵でも許せるという心の広い方は覗いてやってください。 |