第60話−掌






 火の粉が飛び、氷が舞い、鼓舞と断末魔の叫び声が同時に響く。
 そこは戦場であった。
 ほんのひと時前までは人々が普通に生活していた筈のその場所に今はその面影すらも感じられない。
 倒すもの倒れるもの逃げるもの追うもの、嘲るもの怒るもの泣くもの。
 様々な思惑が入り乱れ、火の粉が飛び、氷が舞い、剣戟の音が響く。
 そんな惨劇の中を幼い少年と少女が駆ける。荒い呼吸を繰り返しながら、戦場に背を向け遠くへ、遠くへと。
 金の相貌に強い光を籠めて、ただ一心に、まるでそれが自分たちに課せられた使命であるかのように。
 だが唐突に足を止め、二人は振り返った。
 刹那、遠く後方から閃光が伸び、二人の視界を白く染めた。一瞬の間を置いて地を揺るがす爆音が轟いたころには聡い二人はそこで何が起きたのかを理解していた。
 だが、それを理解したからといって瞬時に心の整理を着けられるほどに彼等は大人ではなかった。
「――ぁ」
 呆然と声を漏らしたのはどちらだったのか、彼等にはそれすらも解らなかった。 二人の眼に先ほどまでは確かに浮かんでいた筈の前を見据える強い光は消え失せその表情には愕然とした絶望だけが浮かんでいた。

 それから長い時が過ぎた。否、実際にはほんの数秒という短い時間であったのだが、彼らにはそれが数日にも及ぶ長い時のように感じられた。
「――っ!」
「駄目だ!!」
 唇を噛締め来た道を舞い戻ろうとした少女の腕を掴んで少年が静止した。
「離して!!」
 涙を溜めた瞳できっと睨みつける少女。しかし少年は手を放そうとはせず、そのまま踵を返して進み始めた。
「嫌だ!離して!!」
 懸命に手を振りほどこうとする少女にしかし少年は答えない。痛々しく表情を歪めながら決意を秘めた視線で前を見据えて進む。
「離してよ!――!!」






 ハッとティルは目を見開いた。一瞬此処が何処であったのか解らなくなったが、 闇の中僅かに瞳に映る天井の木目と穏かに揺れる感覚から此処がポルトガで手に入れた船の中である事を思い出す。
 隣を見遣ればレイが穏かな寝息を立てていて、ティルは大きく息を吐いた。
 寝台から体を起こし荒れた呼吸を整え、ぐっしょりと汗に濡れた体を片手で抱えると、ティルはもう片方の掌を胸の前まで持ち上げて見詰めた。
「私は……」
 小さく息吐くように紡ぎだされたその言葉の先になんと続くのか、ティル自身にも解らない。


 掌を宙に掲げて見詰める。その後ろには満面の星空が広がっていたがそれを見る余裕も無いほどに。
 開いた掌をぎゅっと握りしめ呟く。
「俺だって…」
 消え行くような小さな小さな呟きを聞くものは誰もいない。それを承知で、否、だからこそシキは縋るような声音で呟いた。 但し表情だけはいつもの無表情を貫いたままで。
「俺だって、出来るものなら……!」
 ざぁん・・・ざぁん・・・
 悲痛な叫びは波音に掻き消されシキ本人の耳にすら届く事無く消えうせた。








  9.彼の地の見る夢



 三大賢者一族が一つ、テドンの一族の村は、ポルトガから船で南下し、イシスの広大な砂漠を有する南西大陸の最南端、テドン岬から上陸し、小さな森を抜けた先にある。
 一行を乗せた船がテドン岬に到着したのはポルトガの港を出港してから十日あまり経った夕暮れ時のことであった。
 陸に船を着けるや否や一番に船から飛び出したのはユイで、とんっと軽い足取りで地に降り立つと、振り返り、船の上から一行を見送るサティとリュイアスに対して手を振った。
「じゃ、船のことは任せたわよ!」
「ああ、任せな!」
 サティの相槌を見て取ると、ユイは彼女の後に続いて船を降りる形となったユウたちに向き直った。
「さ、行くわよ!」
「う、うん。」
 姉の調子に釣られるように頷いたユウの後ろで、シキが溜息と共に呟いた。
「つーか、あんたも来るのかよ。」
「勿論!」
 当然と言わんばかりに頷いたユイに、シキは再度息を吐く。そんなシキの様子を見遣り、ユイはにやりと口元を釣り上げた。
「それとも、あたしが一緒に行く事になにか問題でもあるのかしら?」
「別に…。ロマリアやバハラタの時のように巻き込まれたくないだけだ。」
「あら残念。シキ君の能力は役に立つから是非また力を貸してほしいと思っていたんだけど…」
「……」
 冗談めかしたユイの言葉にシキは何やら思案する様子で押し黙った。 話の流れから即答で拒否の言葉を放たれると考えていたユイは不意に訪れた沈黙に怪訝な表情でシキを見る。 暫くの沈黙の末、シキはユイに視線を合わせ囁いた。
「……ラデュシュを探せって言うのなら、無理だと思うぞ。」
 そう告げると、シキはそれ以上は話す気はないと言わんばかりに再び押し黙った。 ユイはシキの発言に軽く目を見開き、苦笑を洩らした。
(あたしの目的はお見通しってわけか…ま、バハラタでの一件があるから当然と言えば当然ね。)
 カンダタとの一線の際、ユイはこの面子の前で父オルテガに対する本心を吐露してしまっている。 その上カンダタからオルテガの旅立ちに関わる人物としてテドンの賢者ラデュシュの存在を仄めかされてしまっているのだから、ユイがユウとは違った用でテドンの賢者を訪ねようとしていることは想像に難くない。
「全く、カンダタも余計な事を言ってくれたものだわ。」
 知らなければ、テドンの賢者に関わろうなどとは思わなかったのに。
 だが、知ってしまったからにはテドンの賢者を訪ねないわけにはいかなかった。会ってどうするのか、何を言いたいのか、訊きたいのか。それはユイ自身にも解らなかったが・・・
「安心して。これはあたしの問題だから、貴方たちを巻き込むつもりはないから。」
 そう告げるや否やユイは常の飄々とした雰囲気を取り戻し、一行の先頭へと躍り出た。重い足取りで歩を進めながらそんな彼女を見送ったシキはぽつりと呟いた。
「そういう問題じゃあ無いんだがな。」

「シキ?」
 シキの呟きを微かに耳に入れたティルが振り返る。
「…何でもない。」
「…そう。」
 平生を装ったシキにティルはそれ以上の追及はせずに前へと向き直った。シキと同様森の奥を見据えたティルの足取りは重い。
「…行こう。」
「あぁ。」
 未だある迷いを拭わんとばかりに深呼吸して告げたティルに、シキは頷き返した。  




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  出てきてませんが当然のごとくユイとセットでエルも着いてきています。
  またしてもパーティ人数が6人になってしまうのですがバハラタ編の展開からしてユイを外すわけにもいかず…








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