第61話−霧の森






 幸いにも魔物と出会うことはなく、この調子で行けばぎりぎり日が落ち着る前にテドンの村に到着できるのではないかというペースで一行はテドンへの道のりを進んでいた。
 岬からテドンの村までの道のりには街道はないが船が停泊した位置からは真直ぐ北に進めば良いので方角さえ見失わなければ迷う心配は無い。 だが岬と村を遮るようにそびえる小さな森に差し掛かったあたりから辺りには濃い霧が立ち込め始め、とても良い旅路とは言い難い状況であった。
「うーん!久しぶりの揺れない地面。やっぱり陸の上は良いわぁ!」
「この状況でよくそんなことが言えるわね!……寒いわ。」
 意気揚々と前進するユイにレイは両手で体を抱え込み身震いしつつ、半ば呆れるように声を上げた。
 立ち込める霧が水滴を体に纏わりつかせ、さらにそれに追い打ちを掛けるように冷たい空気が辺りを包む。
「うぅ……イシスと同じ大陸にあるのにこんなに気候が違うなんて…」
「この辺りは南のレイアムランドからの冷たい風が寒流に乗って直接吹き付けて来るからね。それに村の北側には山脈があって内陸とは隔てられてるから、 同じ大陸でもこの辺りと内陸部では全然気候が違ってるの。」
 ティルの説明にユイが続けた。
「海からの冷たい風か…低温多湿じゃあ高温乾燥のイシスとは正反対ね。」
「うぅ…耐えられないかも…」
「ほら、もう少しで村に着くから、頑張って!」
 弱音を吐くレイの肩を叩き、ユイが励ましの言葉を口にした。しかし状況はそれほど楽観視出来る状態ではなかった。
「凍えるほどの寒さではありませんがこの霧は厄介ですね。」
「雪国出身の貴方と砂漠出身のレイちゃんじゃ体感温度が違うでしょうが…まぁ、霧が厄介なのには同意だけど。」
 辺りに立ちこめる霧は濃く、数メートル先が見えないような状態である。もし仲間たちとほんの少しでも距離を開けてしまえばその姿は白い闇に呑まれて消えてしまうことは想像に難くない。
「霧が晴れるまで待って動いた方が良いんじゃないかな。」
 ユウがそう提案したがユイは首を横に振った。
 此処で留まれば日暮れまでにテドンに着くことは不可能になる。 また、夜になり日の光が完全に失われれば気温は更に低くなる。気温が下がれば大気中に溶け込んだ水分が飽和状態を超えて水蒸気となり更に霧が濃くなることが予測され、霧が晴れるのを待つのであれば夜明けを越し気温が上昇するのを待たなくてはならない。
「明け方はもっと冷えるわよ。あたしは別に構わないけど…」
 ユイが横目にレイを見遣りながら告げると案の定、その言葉にレイは身を震え上がらせ声を上げた。
「で、出来れば、早く暖かい宿に入って休みたいわ…」
「そうですか。しかし…」
 尚も不安げに思案するエルにユイは明るく声を掛けた。
「だーいじょうぶよ!方角は見失ってないんだし、離ればなれにならなければいいだけよ!」
「そうだね。慎重に行こう。」
「シキ君、いざとなったら頼むわよ!」
「流石にこの霧の中ではぐれた奴を探すことなんて出来ないぞ。」
 シキはユイの言葉を軽くあしらうと霧立ち込める辺りを見渡しながら呟いた。
「…しかし、妙だな。」
「シキ?」
 目を細め注意深く辺りを観察しながら呟かれたその一言に一行の視線がシキに集まる。
「この辺りで霧が多発する時間帯は明け方の頃だったと思うんだが…」
「……そういえば、そうだったね。」
 シキの言葉に記憶を手繰り寄せたティルが同意する。だが今此処で考えていても答えが出ることはない。小さな疑問を抱きつつ、一行は先へと進んでいった。


 そうして、霧により仲間を見失わぬようまめに距離を図り、声を掛け合いながら一行は慎重に森の中を進んで行った。 その結果村への到着は当初予定していた日暮れ前よりやや遅れることとなったが、太陽が完全に沈み辺りが夜の帳に包まれた頃、森の向こうに村の灯りがぽつぽつと見え始めた。 不思議な事に、それと同時に目の前すらも見えないほどであった濃い霧はあっという間に晴れ初め、気付けば霧はすっかり消え去り一行は村の入り口の目前に立っていた。
「不思議…まるで村を隠していたみたい。」
 相変わらず寒さに震えながら、それでも霧が晴れたため幾分か肌に直接的に突き刺さるような冷たさは和らいだためか、先程までよりも冷静さを取り戻したレイが辺りを見渡しながら呟いた。
「有り得なくはないわね。何せ三大賢者一族の一つだもの。…でももしそんな技術があるっていうのなら、その技術ダーマにも分けて欲しいものね。」
「あぁ、ダーマも霧の頻発地域でしたね。」
 ユイの軽口にエルがふと思い出して告げると、ユイはなにかダーマでの修行時代に霧に嫌な思いででもあるのか顔を歪めた。
「えぇ。快晴だと思ってたらあっという間に霧に包まれて…。それもしょっちゅう起こるものだから気が滅入るわよ全く。」
「あはは…それで、実際のところどうなの?」
 姉の様子に苦笑しながらユウは事情に詳しいティルとシキに話を振った。
 まだ事情を説明されていないが二人がテドンの出身であるということは最早仲間内では公然の事実である。二人が否定したり隠しだてをするような様子も無いのでこういった軽い会話の流れであれば彼等に話を振った所で何の支障も無い。 彼等が話してもいいと思う内容であれば答えはすぐに返って来る。沈黙が下りればそれ以上は話を振らず話題を変える。特に誰かが取り決めた訳ではないが、それは暗黙の了解として、皆が行ってきたことである。
 ユウは今回もそうなるだろうと思っていたし、それ以外の展開など考えてもいなかった。だが、
「――ティル、シキ…?」
 殿を務めていた二人に話かけようと振り返った先には先程まで自分たちがいた霧掛かった森が広がっているだけで二人の仲間の姿はない。
「嘘!逸れた!?」
「なんですって!!」
 この事実に和やかな雰囲気は一転、パーティに緊迫した空気が走った。
「ついさっきまで一緒にいた筈なのに…!」
 レイが青ざめた表情で呟いた。全員がその言葉に同意する。視界が悪いなか、常にお互いの位置を把握するようにしていたし、姿が見えない時でも声を掛け合い何度も二人の声を聞いていた。
「少なくとも、村の灯りが見えだした頃には一緒にいました!」
「ついさっきじゃない!」
 その直後から、霧は急速に晴れ始めた。森は出口に差し掛かっていたし迷うような複雑なものではなかった筈だ。逸れる要因が無い。だが、現実に二人の姿は無い。

「――っ!」
「待ちなさい!ユウ!!」
 二人の姿を求め森へ引き返そうとしたユウをユイがすかさず引き止めた。
「落ち着きなさい!今引き返せば貴方が迷うわ、確実に。」
 辺りはすっかり夜の闇に包まれている。また、村側は晴れ渡っているが森は未だ濃霧に包まれている。闇雲に探して回れば探す側にも迷う危険性が伴うことは必至である。
「でも――!」
 なおも森に行かんとするユウにユイは抑え込む手を強めた。
「地元民のあの子たちと部外者のあんた、迷いやすいのはどっち!?経験豊富なあの子たちと未熟なあんた、森で迷った時の対処法を身を持って知っているのはどっち!?」
「それは…」
 ユウは口を噤んだ。どちらも答えは明白である。
「でもユイさん、実際に二人は森から出てこないわ。」
「だから、ミイラ取りがミイラになる必要は無いって言ってるの。二人共に土地勘がある上にシキ君は探索呪文の使い手。放っておけばそのうちひょっこり姿を現すかもしれないでしょ。」
 不安げに、直にでも飛び出して行ってしまいそうなユウとレイに言い聞かせるようにユイはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「そうじゃなかったとしても探すなら明日日が昇って霧が晴れてから。通ってきたところ魔物がいるような気配も無かったし、あの二人はレイちゃんみたいにこの寒さにまいっている様子も無かった。二人旅にも慣れてるでしょうし一晩くらい森の中に放っておいても大したことにはならないわよ。それに――」
 ユイは微笑し片目を瞑って見せた。
「もしかしたら既に少し外れたところから森を抜け出している可能性だってあるわよね。だとすれば村で情報収集というのも一つの手だと思うのだけど?」
「……わかった。」
 ユウは渋々ながら頷いた。ユイは軽く安堵の息を吐くとユウとレイの背中を押して先を進むことを促した。
「さ、行きましょう!」
「うん。」
 ユウは頷き、もう一度だけ森を振り返った。ユイの言うとおり。二人なら大丈夫だ。そう思う傍ら不安が沸々と湧き上がる。
「…ユウ」
「うん、二人なら大丈夫だよ。行こう。」
「えぇ。」
 自身に言い聞かせるようにしてレイと二人頷き合って、二人はテドンの村へと踏み入った。

 敢えて明るく二人に接するユイにエルはそっと囁いた。
「流石ですね。」
「えぇ。口では負けないわよ!」
 そう言い放つとユイは真剣な面持ちでユウとレイには聞こえないよう声を抑えて告げた。
「…気になることはあるんだけどね。それも含めて一度村へ向かった方が良いと思うのよ。」
 向かうのは賢者一族の村。鬼が出るか蛇が出るか。目前に広がる一見のどかな村をユイは睨むようにして見据えた。




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  ダーマといい今回といいティルとシキは霧に対して悪い意味で縁があるとおもう今日この頃…








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