「レイ、大丈夫か?!」 「大丈夫よ、今のところは。」 エビルマージの支配を受けた氷の雨を避けつつ、ラデュシュはレイに尋ねた。 「だけどどうしたらいいの?」 エビルマージは相手の攻撃呪文の効果を消し去る魔法障壁を纏っていて、レイやラデュシュの得意とする魔法攻撃が通用しない。 更に相手は回復呪文の心得もあるらしく、このまま長期戦に持ち込まれればどちらが先に体力を切らすかは明白であった。 「何も手が無いわけじゃない。魔法に耐性があるといっても全ての魔法が利かないわけではない。真空呪文なら奴に届くし、それを活用しつつ回復の隙を与えず一気に攻められれば我々の勝ちだ。」 言うは易く行うは難し。否、実際にラデュシュにとってはそう難しい事ではないのかもしれない。しかし今、接近戦に弱いレイや離れた位置で苦戦を強いられているユウの様子を気にしながらではそれを行うのは困難であることは明白である。 せめてもう少し力があれば。足手まといになっている事実を歯痒く思い、レイは唇を噛締めた。しかし何時までもそうしているわけにはいかず、レイは覚悟を決めると腰に差した短剣を引き抜いた。 「メラミ!」 迫り来る氷塊に火球をぶつけ、爆風を利用する要領で飛び退くとレイはラデュシュの元まで駆ける。 「ラデュシュさん!」 「?」 自身に迫る攻撃を交わしつつ首を傾けたラデュシュに、レイは緊張した面持ちで告げた。 「上手くいくか解らないけど、サポートしてくれる?」 レイの手の中の得物を見て取ってラデュシュは彼女の言わんとしていることを悟ったようだ。 「大丈夫なのか!?」 「解らないわ。でも、ラデュシュさんが前衛に出たら、ユウのサポートに回れないでしょ?」 暗色を示したラデュシュに自身も不安げな表情を浮かべながら、それでもレイは屹然として言い放った。 「シキ直伝の短剣術の腕前、見せてあげる。」 「解った、頼む。」 ラデュシュは頷き迫る氷塊を撃ち落とすと素早く杖を掲げて言葉を紡いだ。 「来たれ真空、嵐となりて彼の者達を斬り裂け――バギクロス!」 大嵐がエビルマージを中心として巻き起こる。風に弄ばれ身動きが取れないエビルマージにレイは短剣を構えて駆け寄った。 「たぁぁ!!」 『ぐっ、あぁぁあ!!』 声と共に渾身の一撃を放つ。短剣はエビルマージを斬りつけエビルマージは大きな悲鳴を上げて瞳を閉じた。だが、安心したのもつかの間、 「レイっ!!」 ラデュシュの声と共に、一度閉じられたエビルマージの瞳が開き掌がレイへと掲げられる。 『甘かったな!』 (浅かった!やられる!!) 間近で放たれんとする氷の刃に、レイは咄嗟に眼を硬く瞑る。と、同時にレイは思わぬところからの衝撃に吹き飛ばされた。 「きゃっ!」 決して強くは無い衝撃。思わず小さく悲鳴を上げつつ、レイは誰かの腕に抱きかかえられていることに気が付いた。 強く抱え込まれ庇われたまま二人一緒に地面を転がる。そこで漸く、レイはその腕が誰のものであるのか目の当たりにした。 「無茶しすぎだよ、レイ…」 「ティル…!」 苦笑交じりに安堵の表情を示す金髪の少女はレイが良く見知った信頼のおける仲間で、レイは人知れず息を吐いた。 「あの子たちが傍に来るとね、とっても解りやすいの。」 そう言ってメリカは胸元に手を遣り何かを手の中で弄ぶような仕草を見せた。その仕草がティルが時折見せるものに酷似していたため、ユイはそれが何を指すのか簡単に理解することが出来た。 「魔石ね。」 「えぇ。あれは元々私のものだったから。」 元々は自分のものであった魔石の放つ独特な力の波動を感じ、メリカは彼女達が傍に来ていることを知り、テドンへ訪れることを妨害したのだ。 「だけどどうやって……」 「あの魔石に宿る力はね、時空間に干渉する力なの。」 どのようにしてティルとシキを自分達の目の前から消し去ったのか。答えを探して思考に没頭するユイに、メリカは回答を語り始めた。 「私は魔石の力を感じた事で、二人が此処へと近付いて来ていることを知った。それで魔石の力に干渉して一時的に疑似的な空間を作り出して、二人をその空間に飛ばしたの。」 「ありえない…そんなこと、出来るわけないじゃない。」 「あら、どうしてそう言い切れるの?実際に人は瞬間移動や視野の認識をずらす様な空間に関与する呪文をいくつも扱っているじゃない。それに旅の扉のように空間と空間を繋げるものもある。あれは古い時代に三大賢者一族が造ったとも云われているわよね。 なら、此処は三大賢者一族に一つ、テドンの一族の村。それくらいのことが出来たっておかしくは無いと思わない?」 ユイの常識で考えれば、人間が疑似空間を造ってそこに瞬時に人二人移動させることなど有り得ない。 だが実際に、目の前で微笑するメリカがそれをやってのけたということも事実なのだろう。だが、彼女は事も無げに言ってのけたその技法が莫大な魔力を必要とすることは確かだろう。 「どうしてそこまでして…」 思わず漏れ出たユイの呟きに、メリカは自嘲的な笑みを浮かべた。 「…これ以上、あの子たちにこの村のことで辛い思いをしてほしくなかったから……尤も、これは単なる私のエゴだけれど…それにあの子たちは昔と同じでおとなしくしてはくれないようだし…」 そう告げたメリカの表情は儚く、今にも消えてしまいそうだとユイは思った。 ティルはレイを解放すると立ち上がり素早く体勢を整えて息を吐いた。 「レイ、大丈夫?」 「えぇ、ありがとう!ティル、今まで何処にいたの?」 「…事情は後で。」 曖昧な笑みでそう答えつつ、ティルは周囲を見渡した。離れたところで地獄の騎士と戦うユウ、そして―― 「――っ!!」 ラデュシュを見遣った途端、ティルは愕然と目を見開いた。 「どう、して――」 予想だにしなかった人物に、ティルの心臓が早鳴る。聞きたい事や言いたい事は山ほどある筈なのに唇は小刻みに動くだけでまるで何かにつっかえたように意味のある言葉が続かない。 そんなティルの様子を見て取って、ラデュシュは優しく苦笑を浮かべた。 「事情は後、だろ。」 「…そう、だね。」 ティルは逸る心を落ち着かせるよう大きく息を吐き、隙無く構えると言い放った。 「こっちは任せて!」 「しかし…」 「大丈夫。」 渋るラデュシュを振り返り、ティルは屈託無く笑った。 「私、あの時よりずっとずっと、強くなったから。」 なおも反論を続けようとしたラデュシュは、その笑顔に言葉を詰まらせる。 「……わかった、頼む。」 果てにラデュシュは渋々といった様子で頷くと踵を返した。 『おのれ――』 ラデュシュがユウの応援に向かうことを阻止する為エビルマージが呪文を放つが即座に反応したレイがそれを阻止する。 魔力のぶつかり合いにいなされて軌道を逸したエビルマージの攻撃はラデュシュからは離れたところに着弾する。エビルマージは地団駄を打った。 『邪魔をしおって!貴様、あの時逃げ出したもう一人の娘だな。』 「…そういうそっちはイシスでシキと話してた奴だね。」 『ふん。大人しく我等の忠告に従っておけばいいものを。』 手に黄金の爪を装備し隙なく構えるティルにエビルマージは一笑を送った。 『わざわざ死にに来たのか?あの場にいた貴様なら知っているだろう。あれらが守るに値せぬ存在だということを!』 びくん、とティルは大きく全身を揺らして動揺を示した。その反応にエビルマージは笑みを濃くする。 『思わぬ再会に絆されたか?だがその存在自体がまやかしであるということを他でもない貴様は知っている筈だ!』 「…黙れ。」 呻くように紡ぎだされた声。しかしそれに反してエビルマージはさらに言葉を続けた。 『愚かなものだな。来るべき未来を知ってなお留まり続けたテドンの民も、それを庇おうとする貴様等も。』 「っ、黙れと言っている!!」 激情に駆られて叫ぶティル。レイはそんなティルの表情に一片の曇りなき怒りを見た。 「お前達が、皆のことを、語るな!!」 絞り出すようにして紡ぎだされた叫びと共に、爆発的に空気は冷え辺りにぴりぴりと刺す様な波動が広がった。 (何よこの魔力!?ティルのなの!?) ラデュシュの魔力と良く似た魔力。レイはこれまでの旅の中でティルが魔法を使う所を見たことも彼女の魔力を感じたことも無かったが、確かにこの力はティルを中心にして渦巻いていた。 感情に任せて放出された力の塊は決して洗礼されたものではなかったが、その怒りの大きさゆえに絶大な威力を持っていた。 ドッドドドドッ 氷の塊が雨となりエビルマージに降り注ぐ。 『ふっ、無駄だ!!』 魔法障壁により、氷の雨が直接エビルマージにダメージを与えることは無かったが、降り注いだ大量の氷塊によってエビルマージの視界は遮られた。 持ち前の魔力で氷を振り払いすぐさま反撃を喰らわそうとしたエビルマージであったが、ティルにはその間で十分だった。 『なにっ!?』 氷塊の影から距離を詰めたティル一撃がエビルマージに迫る。 「終わりだ!!」 ティル会心の一撃が炸裂する。ドゥッと大きな衝撃音が響き、エビルマージの体が吹き飛んだ。 地に伏せそのまま動かなくなったエビルマージの体を、ティルは荒々しく肩で息をしながら怒りの籠った視線で見据えていた。 「…なんて力、隠し持ってたのよ。」 唖然として事の成り行きを見守っていたレイは、その後も暫くの間声を失い佇んでいたが、やがて夢見心地のまま呟いた。 「これだけの力があれば、あっちの魔物だって楽勝じゃない…」 「ごめん、無理。」 「え?」 はっきりとした否定の言葉にレイは首を傾けた。次の瞬間、ティルが力なく崩れ掛かるのを見てとり、レイは咄嗟にその体を支えた。 「ティル!!」 力の籠らない体、その表情は血の気が失せ真っ青を通り越して真っ白である。 「ティル、どうしたの!?しっかりして!」 「っ、ごめん――」 今にも消え入りそうな声音で発せられた言葉。 「――使わなかったんじゃなくて使えなかったの。…言わなかったんじゃなくて、言えなかった。思い出すから…」 その瞳は焦点が定まっておらず、何処か遠くを見つめている。その先に見えているであろう光景を遮るようにティルは両目を掌で覆うが、表情はますます色を無くしていく。 「さっきはあんなこと言ったけど、結局何時まで経っても弱いままで、変われない…」 そう言ったティルは決して涙を見せることは無かったが、泣いているようだとレイは思った。 『くくっ、どうした。その程度か!?』 「くぅ…!」 地獄の騎士の六つの腕から繰り出される巧みな攻撃に、ユウは完全に圧されていた。 『もらった!』 重い剣戟を受け止めたところに予期せぬ追撃を飛ばされ、ユウは捌ききれず鋼の剣を取り落とした。ユウの手を離れた剣はその勢いのまま弾き飛ばされ遠くに落ちる。 「しまった!」 反射的に弾き飛ばされた剣を眼で追うが、刹那に感じた殺気にユウは腕を振り上げる地獄の騎士へと視線を戻し身構えた。 『終わりだ!!』 「っ!!」 振り下ろされる剣。だが間一髪のところでその刃がユウに届くことは無かった。 「させるか!」 声と共に無数の氷がユウを通り越し地獄の騎士を襲う。 地獄の騎士が舌打ちし迫る氷を振り払ううちに、ユウの傍に金髪の賢者が駆け寄った。 「ラデュシュさん!」 「すまない、遅くなった。――ベホマ」 ラデュシュはすかさず呪文を唱えユウの傷を癒すと、腰に差した剣をユウへと差し出した。 聖なる輝きを放つその剣に、ユウは思わず瞬いてラデュシュを見た。 「これは?」 「ゾンビキラー。破魔の力を持ち不死の力で動く魔族に対して高い効果を持つ剣だ。」 言いながら、ラデュシュは自身も杖を手に身構える。 「生憎と俺は魔族の精鋭を相手に出来るほど剣技は得意ではなくてね。前を任せられるかい?」 「でも、僕じゃ全然歯が立たないですけど…」 刃を交え相手との実力の差を痛感していたユウは率直にそう告げた。だが、それを聞いたラデュシュは妙に自信ありきな様子で微笑を浮かべる。 「大丈夫だ、この俺が補助する。それに――」 囁かれた言葉に、ユウは目を見開きラデュシュを見た。 「チャンスは必ず訪れる。頼んだぞ。」 「はい。」 背中を押すラデュシュに頷き返し、ユウはゾンビキラーを構えて飛び出した。 『ぐっ、その剣は!』 剣と剣が交差し、その聖なる輝きを見て取った地獄の騎士が嫌悪を帯びた声を上げた。 『おのれ忌々しい!貴様が、その剣を持つか!』 連続で斬り払いユウを振り払った地獄の騎士はラデュシュに暗い眼光を向けた。 『死霊を切る剣だと?!貴様が!笑わせる!』 「?」 地獄の騎士の科白の意図するところが解らずユウは疑問符を浮かべた。 今だけではない。この魔族たちが現れてからラデュシュに向けられた言葉の数々はユウたちには解らぬことばかりである。だが今はそんなことを考えている場合ではないとすぐに意識を切り替える。 『貴様も、此処で死ぬがいい!くくっ、そうすれば身を持って奴等が何者であるか知ることになるかもな!』 「くっ!!」 「そうはさせんよ!」 ユウを圧す地獄の騎士の猛攻にラデュシュが氷の礫を放って圧し返す。 「俺のことは好きに言えばいいさ。だが、この子たちをやらせはせん!」 『守られて後ろで呪文を放つしか脳の無い人間が何を言う。』 呪文による攻撃を逃れるため背後に退いた地獄の騎士が再び襲いかからんと構えを取る。 (…来る!) ラデュシュの攻撃の途切れ目、地獄の騎士の動作、そして周囲の状況を決して見逃すまいと注意深く気配を探っていたユウが眼を細めた。その刹那―― ドガッ 『ぐぁっ!!』 突然の背後からの攻撃に地獄の騎士は叫び声を上げた。地獄の騎士の肩口から延びる鋼の剣、その先にはユウたちにとっては見慣れた銀髪。 『ぐっ、貴様…!』 「ダーマでの礼だ!」 シキは冷たく言い放つと、躊躇いなく鋼の剣を手放し、剣で貫いたのとは反対側の地獄の騎士の三つの腕を鞭で絡め取った。 『卑怯な真似を…!』 「生憎、敵に対して正攻法で挑んでやるほど優しくないんでね。」 『くそっ、この程度!』 鞭を振りほどこうとする地獄の騎士に、シキは淡々と言い放った。 「喋りすぎなんだよ、お前は。もっと周りに注意を向けた方がいい。」 シキの忠告と同時に地獄の騎士の目前に影が下りた。地獄の騎士の注意が完全にシキへと向いていた隙に、ユウが距離を詰め剣を振り上げたのである。 「はぁぁああ!!」 ゾンビキラーの聖なる輝きが地獄の騎士を一刀両断に切り裂いた。 back 1st top next テドンの皆さんは氷系呪文が得意です。 エビルマージにもマヒャドが得意なイメージがあります。 バラモス城で苦戦させられたせいだということは想像に難くない… ラデュシュさんは子ども好きなので自分の子どもと年の変わらないユウたちが可愛くて仕方が無い。 |