第67話−夢の始まり






 それから数日後のことである。村の集会所の上座に腰掛けて、ラデュシュは深々と溜息を吐いた。
「全く…あの悪ガキども。」
「族長、今度は何があったんだい?」
 大げさなまでに息を吐き愚痴るラデュシュに村人の一人が苦笑して尋ねた。
「ティルが修業を付けて欲しいと言うから呪文の手ほどきをしてやったんだ。そうしたら途端に二人の喧嘩の材料さ。 制御も出来ないくせに言葉の応酬に混じって術を唱えるものだから辺り一面氷の世界の出来上がりだ。」
「あはは…元気が良くて良いじゃないか。」
「全くだ。親に似ずに良かったではないか。あんな可愛げのない子どもは他にはおらんかったからな。」
 年老いた村人の一人がそう言うと辺りから笑いが巻き起こった。 年若くして族長になったラデュシュは村の中でもまだ若者の部類に入る。その為周りの村人たちはラデュシュの子ども時代を知っている者が殆どで、この手の話題になるとラデュシュは顔を顰めた。
「ならその可愛げのない子どもに何でも頼るのは止めてくれ。」
 親ほども年の離れた者達が多いなかで、ラデュシュは専ら子ども扱いだ。その割にやたらと高い魔力の為に族長としての仕事の他に村中の色々な出来事の度に駆り出されるのだから割に合わない。
「なにを!お前に頼らなくても我々はやっていけるぞ!嫌気が差したならさっさと子どもを連れて出ていけ!」
 強気に言い放った村人の一人に、ラデュシュははんと鼻を鳴らした。
「冗談。爺さん達こそそうやって強気に物言える元気があるうちに出ていけよ。隠居に丁度いい土地紹介するぜ?」
「馬鹿を言うな!この村は我々が守ってみせる!」
 事の発端は何時の頃か。予知夢を視る能力を持ったラデュシュが、魔王の復活とそれに併せたテドンの村への魔族たちの襲来の夢を視たことから始まった。 自身の夢の正確さを誰よりも良く知っていたラデュシュはすぐさま対応に乗り出した。村の人々に夢の内容を伝え、移住を促したのだ。
 しかし、多くの村人がラデュシュの夢の正確さを知りながら、村に残る事を選択した。自分たちの手で村を守る。村と共に朽ちる。 等それぞれの決意を口にする村人たちにラデュシュは説得に回ったがその効果は半々といったところであった。
 唯一、子どもを持つ親たちは我が子を守る為移住に積極的であった。村に残り戦うことを選択した者たちに対しても、 未来を担う子どもを巻き込みたくないということや、村を守る事より子を守る事を優先しろといった説得が功をなし、ほぼ全員を他の安全な町へと移住させることが出来たのだが、その皺寄せは思わぬところから押し寄せた。
 村の殆どの子連れの一家が村を離れると、子どもを連れて村を去れという説得の矛先はラデュシュに向いたのだ。 村人の最後の一人が村を離れるまで村の行く末を見届けると決めていたラデュシュはこれを拒否し、寧ろ他の人々に対して移住を進めるよう反論を返す為、此処の所集会はいつもこの有様である。
「親に子どもを守る義務があるというのならそれはお前も同じだろう。」
「俺には村を守る義務もある。」
「…そうやって、子どもには何も言わずに居続けるわけかい?あんたも、それにメリカちゃんもだけどね。」
 いつもと同じ押し問答を繰り返していたところに、中年の女性が口を挟んだ。
「子どもってのは族長さんが思っている以上に物事をよく解っているもんだよ。それくらい、もう気付いているんだろう?」
「……」
 ラデュシュは途端に押し黙った。ラデュシュも含め村中の大人全員がもう気付いている。 シキの悪戯が何も言わない大人たちに対する無言の抵抗であるということを。ティルが執拗に修業を付けて欲しいとせがむのが大人たちと対等に扱ってもらえるよう力を付けたいと願っているからということを。
「…それでも、俺は俺の道を通す。メリカの事は本人に言ってくれ。あいつも頑固だから聞く耳持たないと思うがな。」
 吐き捨てると、ラデュシュはそれ以上その事柄に対する返答を返すのを止めた。


 魔物の大群が押し寄せる、北のネクロゴンドから。復活した魔王の指示を受け、このテドンの一族を滅ぼしに。
 村の者達も善戦するが、多勢に無勢。勝負は初めから見えていた。
「くそっ!」
 最後の魔力を使い果たし、ラデュシュは舌打ちした。剣で目前の敵を斬り伏せやり過ごすが、最早自分に出来ることは限られていた。
 魔力を使い果たした術者にとれる最後の起死回生の手段。
 ラデュシュは迷うことなくその方法を選んだ。


「はっ、はっ、はっ…」
 朝、目が覚めると同時に、ラデュシュは逸る心臓を抑え荒い息を整えた。
「はぁ…また夢か。」
 全く、先見の力など持つものではない。ラデュシュは何度目かになる夢の内容をその考えごと振り払うように頭を振った。そして窓から外を見渡し、はっと真剣な表情を浮かべた。
「…来るか。」
 北の大地から禍々しい気配が近付いてくるのが解る。
「結局、『また』なんてあり得なかったな。オルテガ…」
 もう二度と会えないだろうと別れの挨拶を告げた自分に『またな』とさも当然のように返した友の姿を思い出す。 同じく死地に赴こうとしている彼に、生きていれば彼を助けるという約束は、残念ながら果たせそうにない。
「だが、想いは受け継がれる。」
 何処かで子どもが笑う声が聞こえる。その子たちの姿を思い起こし、ラデュシュはありたけの決意を籠めて呟いた。
「お前たちは、何があっても死なせはしない。」

 自室を出、居間へ向かうと、そこにはひとり椅子に腰掛けて足をぶらつかせる息子の姿があった。
「あ、父さん、おはよう。」
「おはよう。シキ、話があるんだ。」
 その声音に、何か感じるものがあったのだろう。シキは真剣身を帯びた表情を浮かべてラデュシュの前に立ちあがった。そんな息子に、ラデュシュはある物を手渡した。
「これって、父さんの…!」
 魔石で作られたピアス。それはラデュシュが肌身離さず着けていたものである。 それが手渡されたという事態に、大きな不安を抱えながら、シキは父の顔を見詰めた。
「落ち着いて聞いてほしい。もう直、この村に魔物の大群が押し寄せる。」
「!」
 そんな展開は予想だにしていなかったのだろう。目を見開いて驚くシキ。ラデュシュは一拍の間を置いて更に続けた。
「森を抜けて川沿いに進んだ所に、ダーマに続く旅の扉をつくっておいた。お前たちは逃げなさい。」
「なんだよそれっ!!」
 選択の余地も与えず逃げろと告げるラデュシュに、シキは怒気を露わにして叫んだ。
「そうやっていっつもおれたちをのけものにして!おれだって戦う!おれもテドンの村の一員だ!!」
「駄目だ!」
 予想通りの答えに、ラデュシュは声を大きくし、シキを黙らせた。
「シキ、聞きなさい。父さんはこれから村の人たちを守って戦わなくちゃいけない。お前たちを守ってやる暇は無いだろう。そうしたら、ティルを守ってやれるのはお前しかいないんだ。」
「…!」
 シキの顔色が変わった。これまた予測通りの反応に、ラデュシュはもう一押しと続ける。
「ティルを連れて逃げなさい。分かるな。」
 最後は言い聞かせるようにシキの顔を覗き込めば、シキはぎりっと歯を喰いしばって唸った。
「……父さんは、ずるい。そう言ったら、おれが逆らえないことを知ってて、そう言うんだ。」
「あぁ、そうだな。すまない…」
 俯き視線を合わせることもなく呟かれた言葉に、ラデュシュは自虐的な笑みを浮かべた。

 村の警鐘が鳴り響く。と同時に、メリカが二人の元へと駆け込んできた。
「ラデュシュ!大変よ、村の外に魔物の大群が!!」
「あぁ。分かっている。」
 切迫した様子でメリカが駆け込み現状を伝えると、ラデュシュは落ち着いた声音で頷いた。
「…ティルの事は、まかせて。」
 絞るように声を上げたシキの頭を、ラデュシュは優しく撫でた。
「頼んだぞ。そして、二人で生きろ。」
 こくんと頷くと、シキは家を飛び出して駆けた。
 決して振り返ってはいけない。戻ってはいけない。ティルを守って、此処を離れて、二人で生きるのだ。そう心の中で何度も何度も繰り返して。
「…シキは、俺の事を許さないだろうな。」
 その背を見送りながら、ラデュシュは力なく呟く。それに便乗するようにメリカも告げる。
「ティルは泣いてしまうわね。あの子は泣き虫だから。…きっと一生分、涙が枯れるまで泣き続けるわ。」
「だが、これで皆だ。俺達の未来への希望は失われない。」
 ラデュシュはすぐに意識を切り替えようと、深呼吸してメリカを見遣った。
「メリカ、すまないな。結局君を巻き込むことになってしまった。」
「あら、私は自分で巻き込まれることを選んだのよ?」
 こんな時だというのに綺麗に微笑して見せたメリカにラデュシュは笑みを返し、外套を纏って愛用の杖と剣を手にした。


「その後、瞬く間にこの村は戦場となった。戦いは激しく双方の被害は甚大だった。…奴等の明確な被害状況は知らんが、少なくともテドンの民に関しては生き残ったのは二人。 そこにいるシキとティルだけだ。」
 言い終え、ラデュシュはシキとティルを見遣った。シキは相変わらずラデュシュに複雑な視線を向けていたが、俯いたティルの表情は窺えない。
「そんな…」
 レイが掠れた声を上げる。
「なら、今私たちが話をしている貴方達は一体…?」
「奴等が言っていただろう『亡霊』と。俺たちはこの地に縛り付けられ天に上る事の出来ない行き場を無くした魂の集まりさ。 信じられないというのなら明日朝日が昇った後のこの村を見てみると良い。そこにはきっと誰もいない廃墟の町があるだろう。」
 ああ、だから――ティルは時々酷く寂しそうに笑うんだ。お爺ちゃんはこの事を知っていたから、あの時言葉を暈したのか。
 ラデュシュの言葉を聞きながら、ユウは何処か冷静に、そんなことを考えた。

「貴女が怪しいと感じたあの霧はね、私たちをこの世に縛り付ける為の結界。何の因果か、誰の望みか、私たちは毎夜幸せであったあの頃の夢を繰り返す。 この夢が村を、あの子たちを、自分達の命を守れなかった罰なのか、それとも最期まで何かを守ろうと戦い抜いたことへの褒美なのかも解らないままね。」
 メリカは感情の籠らぬ声音でそう告げた。 そんな彼女の様子こそが生きた心地の感じられるものではなくて、ユイは思わず総毛立った。




  back  1st top  next

  過去編はシキティル視点と見せかけてラデュシュさん視点でお送りしました。
  ラデュシュが造ったという旅の扉は一回使い切りのもの。








inserted by FC2 system