雨気2






 ウェルドが何故機嫌を悪くしているのかというと、その理由はこの日の昼過ぎにまで遡る。
 ロマリアを出てから数日。アッサラームまであと少しというところに差し掛かっていた一行の前に魔物の群れが現れたのだ。 いつものように前衛をリクとウェルドに任せ、セルディはヤヨイと共に援護に回っていたのだが、ふと詠唱の合間に顔を上げるとリクの元へ迫る緋色の影が目に映った。
 砂漠に住まう羽を生やした猫のような姿をした魔物、キャットフライだ。
 風を切り一直線に向かい来るその存在に別の魔物との対峙に意識を集中させているリクは気付いていなかった。
「リクッ、後ろだ!!」
 叫ぶと同時にセルディは懐に忍ばせた短剣をキャットフライに向けて投げ放った。当てる為ではなく牽制するためだ。
 狙い通り、キャットフライは迫りくる短剣に軌道をずらし、速度が落ちたその一瞬に、セルディの声でその存在に気づいたリクの一振りにより地に伏すこととなった。


 問題は、その後であった。空飛ぶ敵に向けて、やや上向きに放たれた短剣は直には勢いを止めることなくなだらかな弧を描くように飛び続けその先には、
「――っ! ウェルド!!」
「ウェル!!」
 人をからかって楽しんでいる普段からは想像も付かないような焦りを含んだその声と、やはり焦りを含んだ高い声が同時に上がり、 それに反射的に振り返ったその瞬間、ウェルドは束ねた髪を何かが掠めるような感覚に目を見張った。 そしてウェルドが、縛りを解かれて自由になった金の髪が風に揺られながら肩に掛るその感触を感じた時、短剣は漸く、ウェルドと対峙していた暴れ猿の膝上の辺りに刺さって静止した。
「――風刃」
 直後、紡がれた言葉と共に起こった竜巻により、残っていた魔物たちは一掃され、事無きを得たが、ウェルドは一瞬の出来事を確認するかのように解かれた髪を片手で梳かしながら呆然としていた。









「でも、あの時はまだ、機嫌は悪くなかったよなぁ…」
 すっかり日も落ちて街灯に照らされた夜の街を歩きながらセルディは独り呟いた。一応彼なりに責任を感じているのかそれなりに真剣な様子で先程の出来事を思い返している。


『悪いっ、ウェルド、大丈夫か?』
『あ、ああ。』
 魔物を全て撃退した後、すぐに駆け寄って謝罪を述べたセルディにウェルドはやはりまだ呆然とした様子で頷いていた。
『あー…髪、いくらか飛ばしちまったみたいだな。気になるようなら町に着いてから直してやるよ。』
『いや、別に構わない。』
 ウェルドは周囲の地面をゆっくりと何かを探すように見渡しながら答えた。そう、この時までは、彼の機嫌は損なわれていなかった。
 そしてウェルドはハッと目を見開くとしゃがみ込み、草の合間からあるものを拾い上げた。
 それは質素ながらも上等な糸を編みこんで作られた髪結い用の紐の一部だった。
 直に短剣が当たったのだろう、その髪紐は無残にもいくつもに分かれ、元の用途の為に使うことは出来なくなってしまっていた。


(…その後だよな。あいつの機嫌が悪くなったのは。)
 ようやくその原因に行き当たり、セルディは心中で呟いた。
(………もしかして、大事なものだったのか? あれ…)
 自身が怪我をする恐れがあったことに関しては何の言及もしてこなかったことを考えるとそう考えれば辻褄が合う。 だが、だとすると、こうも早くから髪紐を新調しに行こうとする理由には繋がらないのではないだろうか。そう考えセルディは表情を歪ませた。
「つーか、怒りたいのはこっちだっての。」
 セルディはそう呟くと盛大に息を吐き頭を抱えた。
「何で少し目を離したすきに誰も居なくなってるんだよ…」


 そんなセルディの横を目深くフードを被りマントに身を包んだ小さな頭身が駆け抜けた。
「?」
 颯爽と駆け抜けたその人影に若干の興味を示し振り返ると、既にそれらしき人物は目の届く範囲からは消えていた。
「おい!」
 不自然に立ち止まったセルディに、今度は前方から、荒々しい声が掛った。
「この辺りで、黒髪の娘を見なかったか?」
 柄の悪そうな男たち数人に見下すような態度で尋ねられ、セルディはふっと微笑を浮かべた。 傍から見ればなんということもないその表情が何故か男たち全員の身を竦ませる。


「さあ。見たかもしれないけど覚えてないね。」
 そのどこまでも深い漆黒の瞳は見る人をどこまでも吸い寄せる。
「俺は俺と同じ色の髪で澄んだ瞳の馬鹿みたいに頑固な女にしか興味がないもので。」
(もっとも、その女とは出来れば一生、顔を合わせたくはないけどな。)
 心中でそう呟きながら、セルディは男たちの前から立ち去った。
 その間、男たちは石像にでもなったかのように一歩たりともその場を動くことはなかった。





 所変わって此方は街の中心地に近い位置にある露店街。リクとヤヨイはキョロキョロと視線を動かし立ち並ぶ店々を眺めていた。 悲しいかな、手持ちは殆どないので見物だけに止まっているが、それでも他の町では滅多に見る事のない光景に、リクは十分満足そうだ。
「うわぁ!すごいなぁ〜!」
 東西北に大きな町へと続く道が延びる陸の流通拠点であるこの町には様々な地方から様々な品が運ばれてくる。 見るものすべてが珍しく見え、リクはきらきらと目を輝かせていた。
「ふふっ、リクは先程からそればかりですね。」
 可笑しそうに口元に手を当て声を潜めて笑うヤヨイにリクはムッと拗ねたように口元をとがらせた。
「むぅ…ヤヨイは、楽しくないの?」
「えっ! いえ、そういう訳ではないのですが…私は…」
 ヤヨイは科白の後半から笑みを消し去り、立ち並ぶ露店街の様子を見回した。しかしその眼は今目の前にある光景には向いておらず、どこか遠くの光景を眺めたままヤヨイは続けた。


「…私は、この景色に、故郷の祭を思い出して……」
「ヤヨイ…」
 ヤヨイの故郷ジパングは今危機に瀕している。ヤヨイはその状況を打破する為に、独り海を渡って来たのだ。 普段気丈に振舞っていてもヤヨイはその使命を忘れたことはない。リクもウェルドもセルディもそのことを知っている。 時折ヤヨイがこうして今見ている景色を通して過去に見た故郷での出来事を思い返していることも。


「へぇ、じゃあジパングのお祭りもこんな感じだったんだ。」
 遠い地に思いを馳せるヤヨイに、リクは敢えて明るく声をかけた。
「いえ、全然違うのですが、夜店が出回り人々が往来しているところが似ていると感じただけです。」
 リクの言葉に反応し、振り返った時には、ヤヨイは完全に普段の様子に戻っていて、リクはほっと息を吐いた。


「私は、巫女王のもとで修行をする身でありましたから、あまり自由に外を出歩くことは出来なかったのですが、一度だけ友人の飛鳥が祭に連れ出してくれたことがあって。」
 穏やかな表情で弥生は語った。
 そう、飛鳥に連れられて初めて目にした祭の光景。その時に見た人々の活気ある笑顔と同じ表情をしている人がここには沢山いるのだ。 そう思い当り弥生は浮かべていた笑みを濃くした。遠い日に見た懐かしい光景を再びあの国に戻せることを願いながら。


「ねえ、その『アスカ』って人、ヤヨイの好きな人?」
「なっ!!」
 リクの、今までに見た事のない種の笑みと共に発せられたその言葉に、ヤヨイは目に見えて狼狽した。
「えっ、なっ…! あ、飛鳥は、そんな……」
「ヤヨイってば、顔真っ赤だよ。」
 意地の悪い表情で――少なくともヤヨイにはそう見えた。――詰め寄るリクに、ヤヨイは文字通り耳まで真っ赤にして顔をそむけた。
「ねえ、アスカって人のこと、もっと教えてよ。初めて会った時も、その人のこと呼んでたよね。」
「もう、言っておきますけど飛鳥とは恋仲ではありませんからね。」
「でも、好きなんでしょ?」
 リクの言葉にヤヨイは再び顔を赤らめ押し黙る。そんなヤヨイの様子にリクは声を上げて笑い始め、少女たちの語らいは夜の活気ある街の中でその後も何時までも続いていた。  
















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