雨気3






「はぁ…はぁ…」
 肩を上下させ荒い息を繰り返しながら少女は後ろを振り返った。
(追って、来ない…?)
 人々の往来の中に少女の恐れる影は見当たらず、彼女はホッと安堵の息を吐いた。
(でも、これからどうすれば……)
 このまま大通りを進んで行けばまた彼等に見つかってしまう恐れがある。かといって小道を進めばこの広い街の中、目標の場所まで迷わず進める自信はない。 そう考え少女は胸元で握った手にギュッと力を込めた。
「どうしてっ…」
 フードの下に隠された少女の面持ちが悲痛なものへと変わっていく。
「わたくしはっ、ただ…」
 言い淀み、目尻に溜まった涙を拭うと、少女は再びその場から駆け出した。
 遠くから駆け足に近づく複数の足音が聞こえてくる。今はまだ、立ち止まり泣き言を言える状態ではなかった。









「すまない!そこのお嬢さんたち!」
 談笑を繰り広げ夜の露店街を進むリクとヤヨイに突如焦りを帯びた声が掛けられた。色黒の恰幅のいい男の声だ。
「この辺りで、女の子を見なかったか?黒髪の十二、三歳くらいの子なんだが…」
 辺りを見回しながらそう尋ねる男を見上げリクは首を横に振った。
「…そうか。邪魔をしてすまなかったね。ありがとう。」
「あっ、待って!」
 肩を落とし、早足に走り去ろうとする男をリクは思わず呼び止めた。
「人を探してるの?だったら手伝おうか?」


「それで、その人探しを俺にも手伝え。と?」
「うん。」
 人ごみの中を探し回り漸く見つけたリクに満面の笑みで頷かれ、セルディは盛大に嘆息した。何が嬉しくてこれ以上人探しをしなければいけないんだ。 という本音を隠し、手伝ってくれるものだと信じて疑わないリクの笑顔と、懇願する様子で見上げるヤヨイの視線にセルディはがくりと項垂れた。
「危ない人間に頼まれたんじゃないだろうな?」
 あわよくばそれを理由に二人にその男への協力を止めさせようというセルディの考えはリクの一言によって潰えた。
「うん。商人ギルドの人だって。ほら。」
 そう言ってリクが掲げた一枚の紙には、探し人が見つかった際の連絡場所の簡単な地図と、ソカルという男の名前が記されていた。


 その紙を隅から隅まで慎重に見渡すようにして内容を確認した後、セルディは漸く、渋々ながらも頷いた。
「はぁ…分かったよ…但し、俺から離れないこと。それと、一時間だ。それ以上探して見つからなかったらおとなしく宿に帰ること。」
 深夜を回る時間帯までこの無防備な少女たちを外に出しておくわけにはいけないと考え告げた言葉に、リクは想像通りの反応を返した。
「え〜…」
「え〜じゃない。その間にウェルドも見つけろよ。で、そのガキの特徴は?」
「むぅ……黒目黒髪の女の子だって。身長は、多分ウェルと同じくらいなんだと思う。肩の辺りで髪を切りそろえてて、目立つ子だからすぐに解ると思うって言ってた。」


 不満気な様子を示しながらも素直に答えるリクの言葉を聴き終えたセルディの頭の中に、ふと蘇った記憶があった。
 それは先程リクたちを探していた時の出来事である。
(確か、俺の隣を駆けて行った奴が、ウェルドと同じぐらいの背丈だったよな…)
 さして興味を示さなかったことと相手が深くフードを被っていたため目や髪の色までは確認していなかったが、あの子供には妙な存在感があった。そして、
(その後声掛けてきた奴等が、黒髪の娘を探してた……)
 おそらく、追われていたのは先にすれ違った子供だろう。そう思い適当な言葉を並べて少しの時間は稼いでやったが、 彼等が視界から抜けてからすぐにセルディはそれを日常の些細な出来事として処理した。それ以上関わる気など毛頭なかったのだ。


「あー……」
 回想を終え、セルディは途方に暮れた声を上げた。
「どうしたの?セルディ?」
「どこか具合でも悪いのですか?」
「いや、ちょっと…持病の厄介事に係わりたくない病が…」
「は?」
 訳が分からず首を傾けるリクにセルディは面倒そうに髪を描き上げながら続けた。
「俺、そのガキ見たかも。それも厄介なおまけつきで」





 リク達がセルディの科白に驚き彼に詰め寄っている頃、ウェルドは別の場所で店を見て回りながら途方に暮れていた。
「全く、客を見て値段を変えやがって…」
 既にセルディの目を盗み宿から抜け出してからかなりの時間が経過しているが、背中に着く程度の長さの金髪を結わえず風に泳がせていることから、 未だに目標を達成できていないことが窺える。ウェルドが探しているのは髪を結わえるための紐である。装飾品を扱う店にでも行けばすぐに見つかる品である。 それなのになぜ未だ買い物を済ませていないのかというと、それにはある理由があった。
(確かに質は良さそうだったけど、それでも500Gは高いよな? かといって相場は分からないし…)
 そう、ウェルドにはこういった物の価値が全くと言っていいほど解らなかったのである。


 ウェルドは、リクと出会うより前、金に困るどころか自分で買い物に行く必要などないような環境の中で暮らしていた。 その為、金の使い方は知識として知っていても、実際に品物を前にするとその価格が適切なものであるのかどうかという判断が付かなくなるのだ。因みにこれは、ヤヨイにも該当する。 ロマリアでリクたちの無駄遣いを制止できなかったのもこの為である。リクやセルディの無駄遣いをある程度は計画してのことだと思い、静観している間に、 財布の中が異様に軽くなっていることに気付き慌てて止めに入ったが既に遅かった。
 アリアハンでリクの家に世話になった一ヶ月やこれまでの旅の間に何度か買い物に付き合った成果で、少しは物価が解るようになってきていたウェルドだが、 髪紐を買うなどという経験は初めてだ。幸いに質のいいものかそうでないものなのかの判断はつくが、その価格が相場であるかどうかが全く解らないのだ。


 しかも、ここ、アッサラームの商人たちは、そんなウェルドに簡単に相場を教えてくれるほど甘くはなかった。 セルディが言うように、身なりがよく、本人は意識して隠しているつもりだが時折上品な仕草や行動を見せるウェルドは、商人たちにとっても格好の餌食であったのだ。
 ウェルドも宿でのセルディの科白からある程度そのことを警戒していたのと、彼が人一倍人の感情に敏感であったことから、 高い値段で売りつけようとする商人の手から逃げ果せてはいるが、このままではいつまでたっても目標を達成することは適わない。


 買うことを諦めて戻るか、それとも高額と解っていて敢えて――と言っても、宿を出る際に所持金の一部をリクとヤヨイと三人で振り分けただけのため大した額は持ってきていない。―― 買って帰るかと、真剣に考え始めたその時、ウェルドの目の前を数人の男たちが横切った。男たちがそのまま駆け足に路地裏の方へと向かっていくのを見、ウェルドは表情を険しくし、 一瞬立ち止まって考えた後、進む方角を変えた。





「もう逃げ場はないぜ。お姫さんよ。」
 袋小路に少女を追い詰め、男たちの一人が口を開いた。口元に笑みを貼りつけた男の手には鋭利なナイフが握られている。
「あんたには何の恨みもないが、」
 長い間走り続けた疲労と恐怖が重なって、しゃがみ込んだまま動けない少女にナイフを手にした男は一歩、また一歩と近づいて行く。
「……っ!」
 咄嗟に叫ぼうとする少女だが、長距離を走った直後の体は、早い呼吸を繰り返し胸を締め付けるような痛みを発するばかりで、求めた役割を果たしてはくれない。
「俺たちのために死んでくれ。」
(誰かっ!!)
 無情にも振り下ろされる刃に、少女は固く目を閉じた。
















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