雨気4






 固く閉ざされた真っ暗な視界の中、永遠とも思えるような長い時間が経過し、未だに襲い来るはずの痛みが来ないことに思い当たり、少女は恐るおそる小さく眼を開いた。
 見れば、自分の命を奪わんとしていた男は、ナイフを振り下ろす途中の体制のままで、石にでもなったかのように完全に静止している。 少女に集中していたはずの男たちの視線は、皆一様に固まった男の後ろへと向いていて、少女は逸る心臓を必死で抑え込む努力をしながらゆっくりとそちらへと視線を移した。


 小さな人影が、そこにはあった。
 得物を振り下ろす男の首筋にナイフを押し当てて、ほんの一瞥で状況を理解した様子で険しい表情を浮かべる、少女と同じくらいの子供の姿がそこにはあった。









 夜の闇の中でもよく映える背中に着く程度まで伸ばされた金髪にそれと同色の瞳を持ったその子供は、背中に背負われたその身なりには不釣り合いな大きな剣には手を掛けず、 小さなナイフ一本とその眼力で、その場にいる男たち全ての動きを封じている。
「なっなんだ、お前は!?」
「ガキが!邪魔するんじゃねぇ!!」
 突如現れたイレギュラーな存在に声を荒げる男たちをよそに、その子供は少女に視線を向ける。
「大丈夫か?」
 男たちの存在などまるで無視した様子で尋ねるその人に、少女は慌ててコクコクと首を振った。


「そうか。」
 少女が頷くのを見てとると、若干表情を緩めてそう返した。
「もう大丈夫だ。もう少しそこでじっとしててくれ。」
 言うや否や、男の首筋から押し当てていたナイフを横にずらして除けると、素早く手首を返し、柄の部分で男の頭部を殴りつけた。
「があっ――!!」
「手前ぇ!!」
「ちっ!正義の味方気取りか?!長生きしねぇぜ!!」
 狙い澄まされたその攻撃に、その男は短く悲鳴を零して倒れ、人質の役割を果たす人間がいなくなったことで、一斉に他の男たちが飛び掛かった。
 子供は、男たちが行動を起こすまでの一瞬の間に、少女を守るように立ち位置を換え、背中に掛けた剣をベルトごと外すと無造作に少女の隣へと立て掛けた。
「悪いけど、俺は目の前で襲われている人間を見逃しにするほど薄情な人間じゃあないんだ。」
 襲い来る幾つかの人影に、子供は隙なく構えて静かにそう告げた。


 勝敗は一瞬のうちに決した。


「ふぅ。大丈夫か?」
「え、えぇ。助かりました、ありがとう。」
 いとも簡単に男たち全員を気絶させ、再びそう尋ねたその人に、少女は未だ整いきっていない呼吸を整えようと肩を大きく上下させながら答えた。
 その人は少女の隣に立て掛けた剣を、放り出した時とは正反対に丁寧な扱いで背中に担ぎなおすと、少女に手を差し伸べた。 少女はその手を借りて立ち上がると、溜まった恐怖も一緒に吐き出すかのように大きく安堵の息を吐いた。
「無事でよかった。取り敢えずここを離れよう。」
 気絶して地に伏した男たちを順に見据えながら告げられたその言葉に少女は従った。


 やがて人の行き交う大通りが見えるところまで辿り着くと、少女の手を引き歩を進めたままで、その人は微笑を浮かべて口を開いた。
「ここまでくればもう大丈夫だろう。…お前、名前は?」
「…ネイトといいます。」
「俺はウェルド。家は? 送って行くよ。」
(……俺?)
 少女―ネイトは聞くのは二度目になるその人―ウェルドの一人称に疑問を覚え、頭の中で反芻した。そしてハッとしてウェルドの顔をまじまじと見やると徐に尋ねた。
「…もしかして、男の方?」
「………だから、嫌だったんだ。」
 ウェルドが固く引き結んだ唇から、溜息とともにそう呟きを零したのを最後に、二人の間に嫌な沈黙が流れた。





「ねえ、」
「……」
「ねえってば!」
「……」
「ねえ!返事してよ! セルディ!!」
 まるで聞こえないものであるかのように一貫して無視の姿勢を崩さない相手の進路に回り込み、リクは苛立ちを露わにしその名を呼んだ。


「…どうせその娘を探しに行こうって言うんだろ。もう聞き飽きたよ。」
 対してセルディは、進路を塞いだリクをいとも簡単にかわして進みながら冷めた様子で返した。 そんな二人の対峙を、一歩離れた位置からヤヨイがはらはらと見守っている。
「だったらはやく――」
「駄目。約束通り、良い子は宿に戻る時間だ。」
「…良い子じゃなくていいもん」
「はぁ。だから百歩譲って商人ギルドに足を運んでやってるんだろうが。これ以上我が侭言うなら強制的に宿の部屋にぶち込むぞ。」
 頭を抱えて吐き捨てるセルディの周囲に僅かながらに魔力が収縮する。それが脅しであるということは理解しているのだが、 その語調の強さから本気でそれがなされそうで逆らえず、リクは唇をへの字型に歪めて唸った。
「むぅ…セルディのイジワル。」
「意地悪で結構。ほら、行くぞ。」


「…でも、誰かに狙われているというのなら、やはり急いで保護すべきだと思いますが。」
「そうだよ!それにほら、ウェルも見つけなくちゃいけないし!」
「俺にとっては見ず知らずのその娘の安否より、お前らの安全の確保の方が優先事項なの。ウェルドは、間違っても誘拐されるようなことはないだろうからそんなに心配いらん。」
 ヤヨイの助け船にも一切の動揺を見せることなく切り返す。
「セルディの薄情者。」
「はいはい。薄情者でも結構。」
 今すぐにでも、セルディの心を動かし少女の探索に向かいたいリクとヤヨイと、それに全く動じることのなく一刻も早く宿へと戻りたいと考えているセルディ。 三人は、互いに互いの心を動かせないという意味で、全く無意味な言葉の応酬をかわしながら、着々と商人ギルドへの距離を縮めていた。





「あの、ごめんなさい。」
「……別に、慣れてるから。」
「その、綺麗な顔立ちだったものだから…」
「無理にフォローする必要もないから。…女顔だっていうことは認めるし。」
「…ごめんなさい。」





 未だ見つかっていないもう一人の仲間と件の少女が出会い、そんな会話を繰り広げていることなど、その時三人は知る由もなかった。
















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