奪還1






「よおフィレ。おはようさん。」
 甲板の端に立ち穏やかな朝の海を眺めて大きく伸びをするフィレの頭上から、元気の良い声が掛った。 次いでトンッという軽快な音と共に目の前に着地したビズにフィレは微笑みを返した。
「おはようございます。見張り番だったのですか?」
「そうなんだよ。本当にあいつは人遣いが荒いよ。あ〜腹減った!」
 ビズはそう悪態をついたが本心からそう思ってはいないことは表情を見れば一目瞭然である。
 二人は、顔を見合わせて笑い合ったが、その直後、船全体に響き渡るかのような大きな怒声を聞くこととなった。
『馬鹿なことを言うな!!』
 二人は目を見合わせて瞬いた。そして――
『ふざけるな!馬鹿言ってるのはどっちだよ!!』
 次いで聞こえた前のものにも劣らぬ怒声に二人は間髪いれずに駆け出した。




  エジンベア ―奪還―






 船中に響き渡る怒声を辿れば喧嘩の発生地は直に特定できた。調理場だ。 朝の食事の為に集まっていたのか調理場の前には海賊たちによって人だかりが形成されていたが、触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに誰も中の様子を覗こうとはしない。
 喧嘩の主がこの船の主と勇者の息子であるのだから無理は無い。
 ビズは人だかりの傍まで辿り着くと海賊たちの中から比較的年の近い人間をひっ捕らえて尋ねる。


「何事だ!?」
「わ、若とルディが突然…」
 ビズの剣幕に押されつつ、彼は調理場の扉の向こうを指して告げた。
「原因は!?」
「それが、解らないんだ。若が突然怒り出して、それにルディが反論しているんだが…」
「なに?」
 ビスは怪訝な表情を浮かべた。ビズも含め幼馴染の三人は些細な事でも喧嘩をすることは多々あるが、 場の空気や人様への迷惑を考えられないほど彼等はもう子どもではない。
 それが突然怒り出したというのだ。このような処で脇目も振らず怒声を上げ続けるからにはそれなりの理由があるとビズは考えていたのだが・・・


「なんだっていうんだ一体…」
 海賊を開放したビズが額を押さえて唸る隣でフィレはキョトンとした様子で首を傾げた。
「入らないのですか、ビズ?」
「……俺が行くのか?」
 恐らくそれはこの場にいる全員が望んでいることなのだろう。その証拠に海賊たちは視線をビズへと集中させて示し合わせたかのように全員で相槌を打って見せる。
「だって、ビズとルディとアルジェは昔からの友人同士なのでしょう?」
 友人同士の喧嘩なら仲裁もまた友の仕事だと、フィレの澄んだ瞳が告げている。
 ビズは大きく嘆息した。
「…わかったよ。」
 本来なら、喧嘩の仲裁に入るのは自分ではなくルディの筈なのだが・・・
 そう思考しながら、ビズは渋々ながら頷いた。


 ドンと大きな音を立て扉を開け放ち、ビズはその場に仁王立ちになり、
「おいお前ら、いい加減に――ぃい!!?」
 中にいる二人の様子を窺い見たビズの声が、途中から上擦ったものに変わった。
 フィレを始めとして後ろから様子を窺う海賊たちが怪訝な様子で眉を寄せるのもお構いなしに、ビズは半歩下がってビシッとルディを指差した。
「ル…ルディ、お前…!」
「ビズ、ちょうどいいところに来た。聞け!こいつが――」
「ちょっと待ちな!あたしが悪いみたいな言い方をするな!!」
「事実だろうが!」
 わなわなと小刻みに震えるビズを尻目に二人はなおも良い争いを続けている。
 ビズはゆっくりと、大きく息を吸い込み、


「だーー!!わかったから落ち着け!! っていうかルディ!お前その手に持った危険物、さっさとまな板の上に戻しやがれ!!」


 一同――本人たちも含む――の視線が一斉にルディの手元に向けられる。
 彼の手にはしっかりとそれまで料理に使われていたのであろう包丁が握られており、その切っ先はまっすぐにアルジェの方を向いていた。





 場所を移し此処は船長室。騒ぎを一時中断の形で打ち切り手早く船員全員の朝食を用意すると四人は直に自分たちの分の食事を持ってこの部屋に立てこもった。
 提案したのはビズで、その目的はもちろん罪の無い他の海賊たちをこれ以上この訳の解らぬ争いに巻き込まぬためだ。


「…悪い。周りを全く見ていなかった。」
 そう謝罪を述べながら、ルディは机の上に質素な朝食を並べ腰を下ろす。
「…あたしも。ついつい場所や時間を失念してたよ。」
 ルディとは対角線上の一番離れた席を確保したアルジェもビズとフィレに対してすまなさそうに告げる。
 喧嘩の結果、危うく凶器にされかかった包丁だけでなく、あの部屋にあった多くの食器や調理器具が床に散らばり無残な姿を晒すこととなっていた。 流石にその状況は応えたらしく、二人は取り敢えずは冷静さを取り戻していた。


「んで、喧嘩の原因は?」
 待ち焦がれた朝食を口に運びつつ、ビズはルディとアルジェに交互に視線をやって尋ねた。
「食料が切れかけてるんだよ。」
 直に答えたのはルディだ。
「ノアニールじゃ食料の補充が出来なかったからな。ポルトガまで全員分持ちそうにない…というか後二、三日が限界だな。」
 この船の中で、ほぼ一人で料理番を務めるルディが言うのだから間違い無いだろう。と、そこにアルジェが渋々といった様子で口を挟む。
「…ポルトガまで、早くても後一週間はかかる。」
 船長として、航海に慣れた者としての意見。此方もまず間違い無いであろう意見だ。
 しかし、この中の何処に争う理由があるのだろうか。


「ルディが、どこか近くの港に停泊して食料を調達しようって言いだしたんだよ。」
「良いじゃないか、飢えるよりよっぽどましだ。なあフィレ。」
「ええ。私もそう思いますけど…?」
 ビズの言葉を受けてフィレもルディの意見に同意する。するとアルジェは苦虫を噛み潰した様な表情で勢い良く机を叩いた。


「良いわけあるか!この先で立ち寄れる港といえば、エジンベアしかないんだよ!!」
「エジンベアって…あのエジンベアか?」
 エジンベアというのはサマンオサやアリアハンと同様に鎖国状態にある島国で、他国の地の征服に乗り出したこともある軍事国家である。 尤もそれは先々代の王の時代の話で、なりを潜めた現在では国の内情はあまり良く伝わっていないが。
 とにかく侵略時代の印象が強いため、アルジェが嫌厭する気持ちはよくわかるが、
「…でも、背に腹は代えられないと思うのですが。」
 遠慮がちに言うフィレにアルジェはキッと鋭い視線を送った。
「エジンベアだよ!あのエジンベア! 行くだけ無駄だ。どうせまた「田舎者は帰れ」だのと訳の解らん事を行って追い返すに決まってる!!」
 どうやらアルジェはエジンベアへ立ち寄ったことがあるらしい。


「思い出しただけで腹が立つ!エジンベアごとき小国がサマンオサに勝てるとでも思っているのか! 大体、このあたしを誰だと思ってるんだ!サマンオサの中でも歴史ある由緒あるオーシャウ家の――!!!」
 息を吐く間もなく怒鳴り続けるアルジェに圧倒されて目をぱちくりとさせるフィレの隣でルディが態と声に出して大きく溜息を吐いた。
「はぁ…エジンベアに行こうって言った瞬間からこの調子ってわけだ。 船長が私情を優先するなよ!」
「御免被る!食料が無いなら釣ればいいだろ!!」
 船には幾つかの釣り竿が乗せられているので数日程度なら飢えを凌ごうと思えばなんとかなる。
「それは最後の手段だ!大体、この人数分の食事を用意しようとしたら何匹釣れば良いんだよ。釣れる確証も無いってのに!!」
「なんだと!?」


「ちょっ、ちょっと……」
 再び激化する二人の良い争いを止めようと、フィレが慌てた様子で声を上げるが二人の耳にはまるで届かない。と、
 ダンッ
 ビズが大きく机を叩いて立ち上がった。
 その音に驚きルディとアルジェがビズへと顔を向けると、ビズはその視線をフィレへと送った。
「フィレ、どっちの意見に賛成?」
「え!? 私は、それで皆さんの飢えが凌げるのであればエジンベアに行くべきだと思いますけど…」
「そっか。俺も一度エジンベアには行ってみたかったんだよな。よーし、多数決決定!」
 フィレの意見を聞くと、ビズは機嫌の良い笑みを浮かべてそう言った。


「はっ?!」
「なっ!!」
「じゃあ俺、他の皆に知らせてくるから!」
 当事者たちが唖然として声を上げるのを尻目に、ビズは飛ぶように部屋を後にする。


「待てビズ!勝手に決めるな!! あたしは絶対に反対だからな!!」
 慌てて後を追うアルジェの声が遠ざかり、部屋にはルディとフィレの二人だけが残された。
「…ビズの奴、なんであんなに機嫌が良くなったんだ?」
「……さあ」
 漸く熱が冷めたのか落ち着きを取り戻した様子で呟くルディにフィレは首をかしげて返した。






















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