黒雨1






 広大に広がる砂漠のオアシスに存在する大国イシスの王都へ向かうキャラバンの、駱駝に牽かれた荷車の中、ウェルドはぐったりとした様子で唸っていた。
「うぅ…暑い。」
 そんなウェルドの様子に、このキャラバンを取り仕切る商人のソカルは苦笑を零す。
「おいおい。しっかりしろよ、ウェルドの坊主。アッサラームでの威勢はどうした?」
「仕方が無いでしょう、ソカル。ウェルドは砂漠には慣れていないのですから。」
 ソカルの厳しい物言いに、辛そうなウェルドを心配して見詰めていたネイトがウェルドを庇おうと発言するが、ソカルは苦笑を濃くするだけであった。
「そうは言うがねぇ、同じように砂漠に慣れていない筈のリクが外で頑張っているのを見るとどうもねぇ。」
 ソカルの言葉の通り、現在リクはキャラバンの商人たちと共に外で砂漠の魔物や盗賊の襲撃が無いか見張っており、それらの襲撃があった際には大の男たちに混じって果敢に剣を振るってそれらの撃退に貢献している。
「…すまない。本当、リクは凄いよ…」
 自身への嘲りとリクへの羨望を籠めて薄く笑うウェルドに、ソカルは軽く息を吐き、ウェルドの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「…まぁ、それでもお前さんが夜の番をやってくれているのには助かっているよ。」
 ウェルドは砂漠に照りつける太陽のあまりの暑さに早々にダウンし馬車の中に籠っていたが、 太陽が沈み障害物の無い砂地から昼間の照りつけによって暖められた空気が抜けきりひんやりと冷たい空気が辺りを包む頃になると気力を取り戻し夜の見張りに勤しんでいた。
 ソカルはなんだかんだと言いながらも、夜通しの見張りを文句も言わずやり遂げる少年に感心していた。
「砂漠では昼と夜の気温差が大きいからな、体調は大丈夫かい?」
「あぁ。昼の暑さを除けば問題は無い。」
「そうかい、ならこれからもしっかり頼むよ。」
 あやす様に頭を撫でられて照れるように微笑して返したウェルドにソカルは肩を叩いてそう告げた。


 ふと荷車の入口が開き、中に日の光が差し込んだ。同時に外から男が一人乗りこんで来る。セルディである。
「なんだ?相変わらずばててるのか。」
 セルディはウェルドの様子を見遣ると嘲るような口調で言った。そんなセルディの発言に気を害したのかソカルは厳しい視線でセルディを見遣る。
「…セルディ、見張りはどうしたんだ?」
「あんた、俺に対してだけ疑り深いな…ちゃんと定刻で交代してきたよ。」
 文句を零しつつ、セルディは荷車の中で一番広く空間が開いていたソカルの横に腰を下ろした。


 刹那、ひんやりとした空気が辺りをセルディと隣り合う側の半身を満たした様な気がしてソカルは驚き声を上げた。
「セルディ。お前の周りだけやけに涼しいような気がするが…?」
「? …あぁ、氷系呪文の応用で辺りの温度を下げてるからな。」
 平然と言ってのけたセルディにソカルは頭を抱えてウェルドを指した。
「…そんな方法があるならあそこでばててる坊主に使ってやったらどうなんだ?」
 言われセルディはウェルドに視線を移すと、力なく崩れる少年の姿に嫌味ったらしい微笑を浮かべた。
「ウェルドが直接頼んで来るなら考えてやっても構わないぞ。」
「死んでもごめんだ。」
   楽しげに視線を送るセルディにウェルドは即答で返した。




  イシス ―黒雨―






 何故リク達一行がイシスへと向かうキャラバンに同行しているのかというと、その理由はアッサラームで交わした約束に起因する。


「我々に協力してくれるのだというのなら、まずこの方が誰なのかということから説明しなければならない。」
「ま、だいたい想像はつくけどな。」
 丁寧に事情を説明してくれようとしているソカルの言葉を遮ってセルディは口を開いた。
 関わりたくなかった出来事に関わることになってしまった事に対する腹いせと、時間も遅いので早く話を終わらせてリク達を宿へ連れて帰りたかったという理由もある。
「どっかの国の王族貴族。アッサラームはイシス領に属していることを考えるとイシスか?」
「…あぁ。」
 ソカルは頷いた。


「この方はイシス王国第一王位継承者、ネイト王女殿下であられる。」


「ふーん。」
 さも興味無さげに相槌を打つセルディ。  ウェルドは大して驚いた様子を見せず、ヤヨイは軽く驚きを見せながらも、二人は決して話を聴き漏らすまいとソカルの話に集中している。 この場に居るのがこの三人だけであれば、セルディの目論見通り話は簡潔に纏まったのかもしれない。だがリクの反応は違っていた。
「えぇ!!」
 彼女は遠慮の欠片も無く大きな声を上げ盛大に驚いて見せた。
「お姫様って、あのお姫様?!うそっ!本物!?」
「え!?…えぇと…」
 突如言い寄られ困惑するネイトに代わって、苦笑を浮かべたソカルが答えた。
「『あの』がどの姫を指してのことかは解らんが、正真正銘イシス王国の姫君だよ。」
「凄い凄い!本物のお姫様に会えるなんて!!」


「な、何事?」
「わ、私に訊かれても…」
 リクのあまりの興奮の仕様に周りが困惑気味に視線を交わすと、リクは身振り手振りを交えて説明を加えた。
「お姫様って言ったらね、格好良い王子様と結ばれて、めでたしめでたしで幸せに暮らすんだよ!」
 リクのこの科白に、ウェルドは納得した様子で声を上げた。
「あぁ、リクは冒険小説とか好きだから。」
 ウェルドの言葉に一同は納得した様子でリクに温かい視線を送った。つまり、先程の科白は彼女が以前読んだ何かの物語の結末なのだろう。


 ただ一人、お姫様当人であるネイトだけは、そんなリクのはしゃぎぶりを見ながら影のある表情を浮かべた。
「そんなのは物語の中だけです。実際は、そんなに素敵なものじゃないわ。」


 当事者の言葉に、場に重い空気が圧し掛かる。
 流石に空気を読んだリクが押し黙り「ごめんなさい」と小さく謝罪の言葉を紡いだ。周りは苦笑しリクとネイトを宥めるが、何時までもそうしている訳にもいかずソカルが本題を口にした。


「…これはまだ広く知られている話ではないんだが。」
 念入りに周囲を見渡し声を潜めて紡ぐソカルに一同は自然に小さく輪を作り話を聞き逃すまいと耳をすませる。(セルディを除く)
「先日、女王陛下が崩御なされてな。」
「えぇっ――!!」
 声を上げようとしたリクにソカルは慌てて指を立てて制した。
「…それはいつの話なんだ?ロマリアにはそんな情報は入って来ていなかった。」
 カンダタの一件の後、王の戯れから一週間の間国王の代理として務めを果たしていたウェルドが顎に手を当てロマリアで取り入れた周辺国の情勢を思い返しながら尋ねた。
「まだ一月と経っていない。本当につい先日の話だ。このアッサラームにすらまだその一報は届いていない。」
「…一月程度じゃ砂漠を越えて周辺諸国に急ぎ一報を伝えるのは無理だってか? だけど、現にあんた等みたいにその情報を持って砂漠を越えた人間もいるわけだろ?それにまさかイシス程の大国がルーラの使える宮廷魔道士を持っていないなんてことは無いよな?」
 それまで彼等の話を流し聞いているように見えたセルディが唐突に言った。全てを見透かした様なそこの見えない瞳に見据えられ、ソカルは気押されつつ頷いた。
「…嗚呼。」
「……。つまり、女王の訃報を知らせたくない理由があると言う事か。もしかしてこの話、イシスの国民達にもあまり知られていないんじゃないのか?」
 セルディの問い掛けとそれに対するソカルの反応を基に考えを巡らせたウェルドが尋ねた。ソカルはまだ十代後半にも満たない子どもの口から紡がれるには知的な内容に内心で驚きながら答えた。
「その通りだ。城下の人間も一部の貴族連中を除いてこの事を知らない。緘口令が敷かれているからな。」
「あの、女王陛下の死因は一体?」
「……。」
 ヤヨイの問い掛けに、ソカルは回答を躊躇った。その隣からネイトがか細い声を上げた。
「…解らないんです。お母様は病を患われてはおられなかったし、事故にあった様な外傷もありませんでした。その、毒を盛られた様な形跡もありませんでしたし。」


 まだ年若かった女王の突然の死。その原因が解らないがために政府は緘口令を敷き秘密裏に真相を突き止めようとしているのだという。 しかし事は重大で何時までもひた隠しにしていることは出来ない。
 いずれは女王の訃報を国内外に発表し、喪が明ければネイトが女王の座を継ぐことになるとソカルは語った。


「わたくしは、王位を継ぐ前にもう一度、縛られることなく自国の町を見て回りたかった。…それだけなのにっ」


 幼い姫君は悲痛な面持ちで言い放った。
 その為に、ネイトはソカル達砂漠を渡るキャラバンに同行し、砂漠の町を渡り歩いて来たらしい。そしてこの町で突如悪漢に命を狙われた。
 その場に居合わせたウェルドはそれが単に金目当ての連中ではなかったように見えると言っている。つまり――


「…ネイト様が王位に就くことを快く思わない人間がいるということですね?」
 神妙に、声を落としてヤヨイが尋ねた。尋ねたと言ってもその声音は質問というより確認に近い。「おそらく。」とソカルが小さく頷くと、更にウェルドが問うた。
「彼女が死んで得をする人間は?」
「…お嬢が死ねば、お嬢の叔父…無くなった女王の弟君が王位を継がれる事になる。それから、お嬢の父君は武官の家系だから、お嬢の王位を継ぐことになれば武官の立場が強くなるのではないかと恐れる文官連中もいるな。」
「怪しいとすれば王弟か文官の連中ということか。」


 とはいえ、その場で悩んでいても状況が改善する訳もなく。
 リク達はキャラバンと共にイシスの王城までネイトを護衛し送り届けることとなったのであった。



















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