イシスの国の内政はそう荒れたものではない。傍目には野心を持った為政者もおらず文官と武官の関係も良好とは言えずともそう悪くは無い。 「…となれば一番怪しいのは王弟か。」 セルディが何とはなしに呟いたその言葉に、ネイトはびくりと身体を震わせた。 「叔父様は体が弱くて臥せっていることが多い人で…でもとても優しい人でした。」 両腕で自身の体を抱き締めながらネイトがぽつぽつと語る。 「叔父様の病はお母様の死と入違いに快調へと向かっているそうです。ですが、起きられるようになった後も叔父様はお母様の死を労りわたくしに優しく励ましの声を掛けて下さいました。 わたくしには、叔父様がわたくしを殺して王位を求めるなど、そんなことをする方とは思えません!」 国王の死後、その後継者争いで国が乱れると言う事は実際に少なくない話である。それはどの国にも言える話で王政の国が殆どを占めるこの世界で教養のあるものであれば誰もが知る事である。 しかし、そんな事実とは別に、ネイトの言う通り彼女の叔父が彼女に暗殺者を指し向けた当人ではないことを誰もが祈った。 「…女王様の死と同時に病が癒えた?」 そんな中ヤヨイは、ネイトの言葉を反芻し訝しげに思考を巡らせていた。 アッサラームを出て砂漠を歩み始めてから幾日かの時間が経過していた。 日中気温が高くなる砂漠では移動は明け方から夕方から夜、朝方に掛けての涼しい時間に行われる。完全に日が昇りきると無駄な体力や水分の消耗を防ぐため、キャラバンは長い昼休憩の時間を取る。 この日の昼休憩の時間、リク達一行は誰も見張りに宛がわれておらず、ネイトと共に日の当らぬ荷車の中で寛いでいた。 「うーん…ほんと、砂漠の昼って、噂以上に暑いねぇ。」 昼の見張り番を進んで引き受けていたリクだが、休みの間にまで気を張っていられないとばかりに気だる気な口調でそう告げた。とはいえ、数日の間、炎天下の中外で見張りを行っていたためかまだまだ余裕のありそうな雰囲気を見せている。 「そうだな、砂漠だしな。」 「…セルディはあまり暑そうには見えませんけど。」 汗一つ掻いていないと見られるセルディにヤヨイはじと目になりながら告げた。実際にセルディの傍に近付くと体感温度が10度は違っているような状態なのだから、これくらいの報復は許される筈である。 そんなヤヨイの態度や周囲からの視線にセルディは肩を竦める。 「…あのな、俺が四六時中傍にいる訳じゃないんだぞ。中途半端に今この場の温度を下げたところで後でお前らが辛いだけだぞ。」 「むぅ…それは解ってるけどさぁ。」 リクが表情を歪ませながらある方向を指さすと、セルディはあからさまにばつが悪そうな表情を浮かべた。 指の先では完全にのびあがったウェルドが壁にもたれ掛かっている。俯いているのでその表情を窺い知ることは出来ないが、此処数日の様子や先程から一切周りの会話に関与しようとはしていないところをみると限界が近付いているのではないかと考えてしまっても無理はない。 「ねぇ、セルディ。ウェルだけでも涼しくしてあげたら?」 「…意地を張る元気も無くなったら助けてやってもいいけどな。」 リクが声を落としてセルディに耳打ちしたが、セルディは敢えてウェルドに聞こえるように言い放った。 「いいよリク。どうせなにかしてくれる気はないんだろうし、俺も頼まないから。」 どうやら自分のことを言っているらしいと察したウェルドが気だる気な様子で答えると、セルディはそら見たことかと言わんばかりに肩を竦めた。 しかしその直後、ウェルドが下ろしたままの髪を煩わしげに後ろへと払うとそれを見てとったセルディは物言いたげに視線を彷徨わせた。 そんな様子にヤヨイはくすりと笑みを零しながらウェルドの元へと歩み寄る。 「ウェルド。」 唐突に名を呼ばれウェルドはゆるゆると顔を上げると同時にヤヨイは懐からある物を取り出した。 「ヤヨイ?」 「これを。よければお使いください。」 訝しむウェルドにヤヨイが差し出したのは、程よい長さ硬さで編み込まれた手製の編み紐であった。 「アッサラームでは買えなかったのでしょう?」 「うっ…」 図星を指され、ウェルドは思わず渋い顔を浮かべた。髪紐を買えなかったことをヤヨイが責めている訳ではないということを解っていても失敗を指摘されたことが気まずくて、ウェルドは頷きながらも視線を逸らした。 「…ありがとう。」 それでも律義に礼を告げるウェルドの様子が微笑ましくなり、ヤヨイは表情を綻ばせた。 「前の髪紐、随分と大事にされているようですが、大事なものだったのですか?」 「あぁ。」 ウェルドは照れ臭そうに頷いて荷物の中からばらばらに刻まれてしまった髪紐を取り出した。 「これは人に貰ったものなんだ。俺が無事に旅を続けられるようにって願いを込めて作ってくれたものだ。」 ウェルドの科白を聞いた途端、リクがセルディにじと目を送った。セルディはリクの視線に気付かぬ振りをしながら小さく頭を抱えるが、そんな彼の小さな変化にウェルドは気付かない。 ウェルドは既に本来の用途で使えなくなってしまった髪紐を大事そうに鞄の奥にしまうとヤヨイ手製の髪紐で髪を結わえた。 「ありがとう、ヤヨイ。大切にするよ。」 ヤヨイは続いてネイトの傍に歩み寄ると彼女にも同じように懐から手製の編み紐を差し出した。 「ネイト様も、どうぞ。」 「え?」 驚くネイトにヤヨイは優しく微笑みかけた。 「さしでがましい事かもしれませんが、ずっと不安そうな様子でしたから。元気が出るように呪 いを掛けておきました。腕輪なり飾り紐なりお好きなようにお使いください。」 「ありがとう、ございます。」 やや表情を綻ばせ編み紐を受け取ったネイトは、慣れない手つきでいそいそと編み紐を腕に巻き付けた。 結び目を上手く作れず苦戦する様子にヤヨイが手を貸して腕輪にしてやると、ネイトは縋るようにその腕輪に額を着けた。 そんなネイトとヤヨイの遣り取りを見、険しい表情でセルディが口を開いた。 「…ヤヨイ、ちょっと良いか?」 「何か?」 「ここじゃなんだから、外で。」 言いつつ腰を上げたセルディに荷車の外を指され、ヤヨイはそれに従った。 荷車を出ると外には影一つない砂の海が広がっていた。ヤヨイが影から一歩踏み出すと同時に、彼女の周りをほんの少し涼しげな空気が包み込み、若干日差しが柔らかくなったように感じられた。ヤヨイは思わずセルディを見上げた。 「? 自分以外には使わないのでは無かったのですか?」 「灼熱の太陽の下に誘っておいて自分だけ涼しい思いをしようなんてほど鬼畜じゃないよ。」 「はぁ…」 セルディの良く解らない優しさに、ヤヨイは首を傾ける。 「…それで、本題に入るが、」 煮え切らぬ様子のヤヨイの反応に肩を竦めた後、セルディはヤヨイを見据えて尋ねた。 「…姫様にあげた編み紐、本当に元気が出る呪いなんてものを掛けたのか?」 「いいえ。」 ヤヨイは首を振った。 「掛けたのは魔除の呪いです。…セルディ、貴方も気付いているのですね。」 「嗚呼。」 セルディは頷いた。ヤヨイはジパングにおいて魔を払い国の行く末を占う巫女としての修行を積んでいて、セルディは本人は進んでそうは名乗らないものの賢者と呼ばれる資質を持つほどに豊富な魔力と知識を持つ者である。 二人はアッサラームでのネイトの証言から、ある一つの仮説を組み立てていた。 「女王様がお亡くなりになられたのと同時にその弟君の病が治まったというネイト様の話が本当であれば、注意するべきだと私は思います。」 「…俺も同感。予想以上に面倒な事になりそうだな。」 「ところでセルディ。」 「ん?」 「厄介事には関わりたくないと言っていた割には随分と真剣にネイト様の事について考えておられるのですね。」 くすくすと笑みを零しながら告げられて、セルディはばつが悪そうに頬を掻いた。 「あー…厄介事に関わりたくないって言うのは今でもそうなんだけど…実際に本人と関わりを持つと、このまま身内に殺されるかもしれないのを見殺しにしておくのもなぁ…」 「優しいんですね。ウェルドの髪紐のこともずっと気にしていたようでしたし。もっと素直にその優しさを見せてあげればいいのに。」 まるで年下の子どもを言いくるめる様な言い回しに、セルディは何と返したらいいか解らず頭を抱えた。 「……ガキが落ち込んでるのを見るのは嫌いなんだよ。」 結局正直に告げたセルディにもう一度小さな笑い声が返された。 「子どもがお好きなんですね。」 「……」 セルディは今度こそ返答を返さず押し黙った。 BACK NEXT 2nd top |