王の悪夢






「アトラスー!!」
 レイドックの城の中に、国を治める若き王の声が響いた。
「アトラス、おらんのか!?」
 目をきらきらと輝かせ、お気に入りの兵士の名を呼ぶ王の姿は、とてもこの国を立派に治める為政者とは思えぬ姿であったが、 かつてまだこの国が魔王ムドーと争いを続けていた頃、彼が全く眠らずに国を治めていたという噂は広く知られていて、それ故に臣下からの信頼も厚い。
 とはいえ、ムドーとの争いに勝利し、世界が平和になった後の王の変貌もまた、この国では有名な話である。
 それまでの人と成りからは打って変わって、周囲に女性を侍らせ豪遊し始めた王に、周囲の疑念と落胆は実のところ大きい。
 それでも尚、厚い信頼を寄せられているのは、過去からの蓄積によるものか、それとも世界が平和に満たされ人々の心に大きな余裕が生まれた為か・・・


 中庭で剣の修行に励む目的の人物の姿を捉えると、王は二階の通路から、身を乗り出して声を上げた。
「アトラス!!」
 頭上から降りかかった主の声に、アトラスは一旦剣を振るう手を休め、そちらを見上げる。
「どうしたんですか?王様?」
「仕事だ。お前とハッサンで私の護衛をしろ。」
 突然下された護衛の任に、アトラスは目を瞬かせた。理由が解らないといった様子のアトラスに、王は目を輝かせて続けた。
「バザーだ。マルシエのバザーに行くぞ!」


 そう言えば、前の王様もバザー好きだって言ってたな…。嬉々として告げる王に、アトラスはそんな風に考えた。


 魔王討伐以来人が変わったと噂される王。
 ラーの鏡に映された真実、夢と現実の二つの世界でのムドー討伐。それらの事象を得て、見た目変わらぬように見受けられるこの年若き王が 実際に別人になったのだということを知る者は、この城に仕える者の中でもごく少数の者たちのみである。


「ほほほ…。あの人はいつまでも調子に乗っているようですね。
 そろそろ私の事も思い出させてあげようかしら。ほほほほ…」
 そして、城の片隅から帰って来た王の所業を見遣りながら、そんなことを呟く貴婦人が居ることを知る者は、更にごくごく少数の者たちだけなのであった。









 それから暫く後、アトラスとハッサン、レイドック王の三人はバザーで賑わうマルシェの町を訪れた。
「ほぉ!随分と盛り上がっているな!」
 嬉々として町の様子を見渡すレイドック王。アトラスとハッサンも彼に倣って町を見渡しながら、以前のこの町を訪れた時の記憶を振り返った。
「へぇ、前のバザーの時よりも賑わってるんじゃないか?」
「確か…前はムドーを倒した記念のバザーだったね。あの時は結局、魔物の影響であまり人が集まらなかったようだったからね。」
「そうだったな。そういえばあの時ボガが兄貴のドガに勝ったって話だったけど今回はどうなってるんだろうな?」
 二人が思い出に花を咲かせていると、その傍らで辺りの様子を見渡していた王が突如思い立ったように二人の名を呼んだ。
「アトラス、ハッサン。護衛は此処までで良い。私は私で町の中を見て回るから、お前たちはお前たちで行きたいところに行くと良い。夕方またここで再開しよう!」
「「は?」」
 王のとんでもない提案に、二人は思わず訊き返した。
「だから、町の中では護衛は必要ないと言ったのだ。」
「いやいや!何言ってるんですか!?必要に決まってるでしょう!!」
「何を言う。私とてお前たちほどではないまでも剣の腕は立つ。ましてこんな町中。お前たちの手を煩わせるような危険なことなど起こりはしない。」
「そういう問題じゃないだろうが!王様、あんた自分の立場が分かってるのか!?」
 一人のんびり見て回りたいと考えた王と、職務を全うしなければならないアトラスとハッサン。二人は王に言い聞かせようとするが、王は悪戯な笑みを浮かべて返した。
「ふむ…どこぞの国の王子は護衛も付けずにどこぞの旅の武闘家やその仲間と旅を続けていたと記憶しているが…」
「ぐっ…!」
「…それとこれとは話が別です!大体、貴方に何かあれば俺たちは――……いや、」
 途中で説得の途中で、アトラスはふと何か思い当たった様子で言葉を切った。そのまま何やら考え込む様子を見せたアトラスは、暫く間を空けると王に向き直って微笑した。
「――そうですね。こんな町の中ではそうそう危険な目に遭うようなことも無いでしょうし。お言葉に甘えて俺とハッサンは別行動を取らせてもらいます。」
「お、おい!!」
「うん。また後でな。」
 突然態度をころりと変えて職務放棄を決め込んだアトラスにハッサンは焦り声を上げる。 対して王はアトラスの決定にご満悦の様子で笑顔で手まで振って見せた。と――


「あら?そこにいらっしゃるのはレイドックの王様ではありませんこと?」
 一行に高い声音の妙齢の女性が声を掛けたのは丁度その時であった。その瞬間、アトラスは王や女性から顔を背けて頭を抱えた。
「……しまった、遅かった…」
「アトラス?」
 アトラスの変化にハッサンは怪訝な表情を浮かべるが、アトラスは「何でもない。」と呟くと、無意味と知りつつ極力気配を殺しながら事の展望を見守る体勢に入った。
 そんなアトラスとは対照的に女好きな王は更に表情を明るくした。
「うむ、いかにも!」
 王は頷き、女性を見遣った。動くのに邪魔にならないが質の良いドレス姿から、身分の高い家柄の娘と解る。となれば彼女もレイドックの貴族令嬢か何かだろうか。 そんなことを考えながら女性の顔を見た瞬間、レイドック王は固まった。
 女性の姿は現実の世界での愛する妻の若かりし頃の姿と瓜二つであったのである。
「なっ、ななな――!!!」
 愕然として声を上げようとするが驚きのあまり言葉が出てこない。
「世界が平和になったということですから、こうしてマルシエのバザーを堪能しようと来てみたのですが、このような偶然もありますのね。」
「シ、シェ――!!」
 レイドック王にとって、今シェラーと遭うことはとても拙いことであった。それもその筈、 王は大魔王討伐以前から現実世界での妻のことなど終ぞ忘れて羽目を外して豪遊している最中であったのだから。
(いやいや、落ち着け私。まだ本人と決まったわけではない。他人の空似の可能性もある。)
「そ、そうだな。休暇にとやってきた今日この時に貴方のような美しい女性とお会いできるとは。」
 背に冷や汗をだらだらと流しながら、引きつりそうになる表情を必死に取り繕って告げる。 すると女性からは傍から見れば称賛に値するような美しい微笑を浮かべた。但し向けられた本人からすれば蛇、否、大魔王に睨まれるよりはるかに恐ろしいものにしか見えない。
「おほほ…調子の良いお方ですこと。そうやって何人の女性に声を掛けたのかしら。」
(本人だ。間違いなく本人だ。そしてとてつもなく怒っている。)
 絶対零度の微笑みを見て、レイドック王はそう確信した。見る見るうちに青ざめていく王。そんな王とは裏腹に、女性は妙案を思いついたとばかりにわざとらしく「そうだわ!」と声を上げた。
「せっかく此処でお会いした御縁。一緒にバザーを見て回りませんこと?」
 疑問形で尋ねてはいるがその眼が断ることは許さないと告げている。
「ぬぅ…アトラス…」
 助けを求めて振り返る王。アトラスはそんな王の情けない声音に淡々と返した。
「どうしたんですか、王様。良かったじゃないですか。この様な綺麗な御令嬢に好意を寄せて頂いて。」
 勿論その令嬢の正体が誰であるのかは理解したうえで。
「助けてくれ、息子よ…」
「何のことですか?俺はただの一兵士ですよ。」
 現実の世界での関係を出してまで懇願する王にあくまでも此処夢の世界での関係を強調しながら返すと、アトラスはあっさりと王から背を背けた。
「それでは、俺とハッサンはバザーを見て回ってきますので、時間までどうぞごゆっくり。」
 そう告げるとアトラスは戸惑うハッサンを引き連れ、情けなく助けを求め続ける王に見向きもせずに、バザーで賑わう町の中に溶け込んで行った。
「さぁ、お付きの方々も気を遣ってくれたことですし、二人で年に一度のバザーを満喫しましょう。ねぇ、あなた(・・・) 。」


「すまん!許してくれ!シェラー!!」
「ほほほ…何を誤っているのか私には理解致しかねますわ。」
 必死に許しを斯うレイドックの声がマルシエの町全体に響き渡るのではないかと思うほど大きく木霊したが、シェラーは絶対零度の微笑でそれを流すと、レイドックを引き摺りバザーの賑わいの中に消えていった。









↓おまけ


「さっきの屋店の娘さん、随分と可愛らしい方でしたわね。」
「そうだな……い、いや、そんなことはないぞ。お前の方が何倍も綺麗だ!!」
「ほほ…何を慌てているのかしら。」
 そんな会話を繰り広げながら終始寒々しい雰囲気で歩く二人の様子を遠く離れて見守る影が二つ。言うまでも無く護衛として王に同行したアトラスとハッサンである。
「おい!いいのかアトラス!?」
「いいんじゃないかな…実害は無いし……俺としては割って入ってシェラーさんの機嫌を損ねる方がよっぽど恐ろしい。」
「…それはそうだけど」
「それに、正直にいえば俺はもうあんなシェラーさんとは関わりたくない。」
「そういえばお前、さっきから様子が変だったな。なにかあったのか?」
 ハッサンの問い掛けにアトラスははっと身を固くした後げんなりとした表情を浮かべ、物々しく真剣な表情でハッサンを見遣った。
「ハッサン。」
 あまりにも真剣な眼差しで名を呼ばれ、ハッサンは思わずたじろいだ。
「ど、どうしたんだよ…」
「何があったかと聞かれれば答えるけど、俺は知らない方がいいと思う。」
「…そ、そうか。」
 表情を硬くしてこれ以上は訊くまいと視線を王の側へと戻したハッサンを余所に、アトラスは軽く息を吐き城での出来事を思い返した。




「さぁ、早く行こう!一刻後に支度を終えて城の門前に来るように!では、私はハッサンを探してくるのでまた後でな!」
 首を引っ込め、再び場内を駆けるレイドック王。王の姿が見えなくなると、アトラスは肩を下ろして口を開いた。
「…行ったようですよ。」
 アトラスの言葉に反応し、物陰から一人の貴婦人が姿を現した。
「ふふ。ありがとう、アトラス。」
「どうしてわざわざ隠れたりなんかしたんですか?」
 実はこの貴婦人、王が現れる以前から中庭に居座り、アトラスが剣を振るう様子を傍目に見ながら物思いに耽っていたのだが、王が近付いてくるのを知るや否や、王からは見つからないよう物陰に潜み息を殺していたのだ。
「あの人は私のことなど顧みようともせず随分と楽しんでいるようですから、此方で姿を現すのは癪というものでしょう。…だけど――」


 貴婦人は平和な城には相応しくない寒々しい微笑を浮かべた。
「ほほほ…。あの人はいつまでも調子に乗っているようですね。そろそろ私の事も思い出させてあげようかしら。ほほほほ…」
 そして、剣呑なオーラを漂わせるその貴婦人の傍には、顔を青くし彼女の動向を窺う兵士が一人。
 貴婦人はその兵士を見遣るとにこりと笑みを浮かべた。
「勿論、手伝ってくださるわよね、アトラス。」
 綺麗な、それでいて有無を言わさぬ威圧感のある笑みに、哀れな兵士―アトラスは反論の余地なくコクコクと首を縦に振ったのであった。




(王様、ごめんなさい。あの時からこうなることは目に見えていたけど、俺にはあの笑顔に逆らうだけの力はありませんでした。)
 楽しみにしていた筈のバザーを、真っ青になって隣を歩く貴婦人の機嫌をこれ以上損ねぬように取り繕いながら見物する王の姿に、アトラスは心の中で詫びを入れつつ合掌した。









MENU NOVEL TOP



〜あとがき〜
かなりマイナーであろうレイドック×シェラーの話。しかもED後・夢の世界。ってどれだけマイナーにすれば気が済むんだという感じですね;
シェラーさんは6世界の中で最も逆らってはならない存在であると信じて疑いません。そしてこの話を書いていてうちの6主が一人歩きするとどうも腹黒キャラになりつつあるのは母親の血筋のせいだと確信しました。 この話も下手をすると母子二人で父親を貶める話になり掛けたのを何度軌道修正したことか…
6主たちパーティのように夢と現実を行き来していた訳ではないですが、作中で唯一夢と解って夢を見ていたレイドックの両陛下。これって凄いことですよね? そう考えるとこの二人ならED後も夢占いなしでも夢の中の記憶を明確に覚えていられるのではと思わないでもないですが、そうなった場合この後現実世界で目を覚ました後の王様は悪夢の続きを見なければならないわけですね(笑) 私が書くとどうもギャグになりきらないギャグ話ですがここまで読んでいただきありがとうございました。











inserted by FC2 system